兵は詭道なり 戦いとは騙し合いだ 孫子を学ぶ

投稿者: | 2020年12月18日

兵者詭道也。故能而示之不能、用而示之不用、近而示之不遠、遠而示之不近、利而誘之、乱而取之、実而備之、強而避之、怒而撓之、卑而驕之、佚而労之、親而離之、攻而無備、出其不意。此兵家之勝。不可先伝也。

兵は詭道(きどう)なり。故に能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不要を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓(みだし)し、卑にしてこれを奢らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親にしてこれを離す。その無備を攻め、その不意に出づ。これ兵家の勝にして、先には伝うべからざるなり。

詭道(きどう)とは

詭には欺く、偽る、ずるいなどの意味があります。詭道は、騙すことといった感じでしょうか。

「兵は詭道(きどう)なり」は、戦争とは騙し合いであるという感じ。

その後に続く言葉は、具体例。

個人的にはこんな感じかなと思います。

  • 能力があっても無いように見せかける
  • 必要だと思っても不要と見せかける
  • 近くにいても遠くにいると見せかける
  • 遠くにいても近くにいると見せかける
  • 有利と感じさせ誘い出す
  • 混乱しているように見せて敵を倒す
  • 実際にあるように見せて準備をする
  • 強くみせて不利な戦いを避ける
  • 怒らせて相手を乱(みだ)す
  • 卑小と見せて相手におごり高ぶらせる
  • 安佚(あんいつ、気楽にのんびりと楽しむこと)に見せて相手を疲れさせる
  • 親しいと見せかけて相手を離間させる

「兵は詭道なり」に続いているので、「騙し合い」にフォーカスした感じ。他にもいろいろな説がありますが、基本的には、虚実を逆に見せるということかなと思います。

その後の「攻而無備、出其不意」は、無防備なところを攻めて、不意を突くという感じですね。

此兵家之勝はこれにより兵法家は勝つということ。

不可先伝也が諸説あり。事前に伝えることができないから臨機応変に戦う必要があるというのが流れとしては良い気がします。

というのも、その前段で挙げた内容はあくまで例なので、五事や七条件とは異なるという話かなと思います。

前四例と後八例を分けると

この文章は、前四つと後八つで分けることができそうです。

というのも、前四つは、能不能、用不要、遠近と言葉として対になっています。後八つは対になっていません。

つまり、前四つと後八つは、方向性が異なると言えます。

具体的には、前四つは相手に自軍の情報を偽って伝えること、後八つは相手に仕掛けることと捉えることができそうです。

そう考えると、この後八つの具体例は、意味が変わってきます。

  • 相手が有利と感じさせ誘い出す
  • 相手を混乱させて倒す
  • 相手が実際にあると感じるように準備をする
  • 相手に強くみせて避ける
  • 相手が怒るようにし相手を見出し
  • 相手に卑小と思わせて相手におごり高ぶらせる
  • 相手が油断するように疲れを見せる
  • 相手に親しいと思わせて仲違い(離間)をさせる

という感じでしょうか。

佚の解釈

佚については、安佚(あんいつ)と訳され、佚は逸と同義と言われています。

安佚とは、「気楽に過ごすこと」という意味です。

で、いろいろな説を読んでみたのですが、基本的には「安逸の状態の敵を(間者などを使って)疲れさせる」という意味で捉えられています。

ただ、騙し合いという観点から考えると、個人的には疑問がありました。

少し考えてみた結果、今のところ「相手が油断するように疲れを見せる」というのがしっくり来るかもと思っています。

相手が疲れを見せていたら、この戦いは楽だなと思い油断が生まれますよね。そこを突くというわけです。

孫子の兵法に限らず、戦争に勝つには軍律が重要だと言われています。ゆえに、多くの兵士は戦争中は常に緊張感を持った状態と言えます。なぜなら、ミスをしたら斬首ということが普通にあった時代だったからです。当然、戦争に負けても、その責任から斬首ということも有りえます。

そんな緊張感のある状況で、安佚な状態でいるというのは、油断以外にありえないですよね。ただ、戦の状況が圧倒的に有利であれば、安逸な状態になることもあると思います。敵の疲労度度合いが目に見えてわかれば、勝ちを確信することもあるでしょう。それが、この佚而労之ではないかなと思います。

武士は食わねど高楊枝

佚而労之のもう1つの解釈としては、安佚のふりをして相手を疲れさせるという考え方です。

武士は食わねど高楊枝ではないですが、猛攻をしているのに相手が疲れを見せず、むしろ余裕を見せていたら、攻めている方は攻め疲れしてしまうでしょう。

また、戦力に差があるのに余裕を持っているということは、何かしら策があるのかもしれない、もしくは援軍が来るのかもしれないと攻める方は怪しむかもしれません。

そのような狙いで安佚のふりをするという手はありそうです。

計について

計という字は、謀(はかりごと)と訳されることがありますが、この段では一切計という字が使われていません。

そう考えると、計は計略ではなく、計測という意味の方が近いのかなと個人的に思いました。

五事と七条件で計という言葉を使っているので、余計にそう感じました。

親而離之と離間の計

親而離之については、相手の団結が強ければ引き離すという意味が一般的です。

しかし、全体の流れからすると、佚而労之と親而離之だけ、方向性がガラリと変わった訳がされています。少し調べて見ると、竹簡孫子(ちくかん そんし)には、この2つが書かれていないようです。

後から付け加えられたとして、この2つだけ他と意味が異なるというのも、少し違うのではないかなと個人的に思います。

佚而労之については先述しましたので、親而離之について改めて考えてみました。

そこでふと思い出したのが、三国志の潼関の戦いにおける離間の計です。潼関の戦いでは、曹操が韓遂に一部塗りつぶした文書を送ります。それを見た韓遂は、なんじゃこりゃ?と思いましたが、馬超は韓遂が塗りつぶしたのではないか?と疑います。そして二人は仲違いをし、結果、戦いに負けてしまうのです。

馬超は韓遂の何を疑ったのでしょうか?

韓遂が裏切るのではないか?という疑念の元は、韓遂と曹操が通じている、親密な関係にあるのではないかということです。

もし、韓遂と曹操が犬猿の仲だったら、どうでしょうか?

離間の計はうまくいったでしょうか?

何が言いたかったかと言うと、離間の計をするには、相手とある程度親しさがないと疑われないということです。

そう考えると、親而離之は、「相手に親しいと思わせて仲違い(離間)をさせる」という意味になり、全体としてもしっくりきます。

潼関の戦いの詳細は異なるという意見もあるかと思いますが、言いたかったことは、そもそも離間の計をするには、相手とある程度信頼関係が無いと、そもそも偽の情報を信じてもらうことすらできないということです。親しくない間柄であれば、まず親しくなるのが先ですよね。

実際に裏切り者というのは、信用されている人だからこそ、効果的と言えます。もともと裏切りそうな人が裏切ったところで、ああ、やっぱりねってなりますし、リスクヘッジをしているでしょう。だって、裏切る可能性が高いのですから。それを詭道とはいうのは、あまりにも的外れですよね。

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※本内容は個人的に調べてまとめたものです。一般的な内容とは若干異なる点があることをご了承ください。