市民政府論「統治者が本気になって国民の利益を計り、国民とその法を併せて保全しようとするなら、国民は必ずやそれを目で捉え、感じ取るはずである。」

投稿者: | 2024年4月20日

評価・レビュー

☆5/5

国家は民のために存在しています。

日本に住み生きていれば、今でこそ当たり前のように感じることかもしれません。

ただ、ジョン・ロックが生きた1600年代では、そんなことを考える人の方が少数派でもありました。

本書 市民政府論では、そもそも人間の自由や財産についての権利の発生を中心にして、結果として国家が生まれたという論法で、話が進んでいきます。

それまでは、王のために国家や民が存在しているという考え方だったのが、まったく逆だと説いたわけです。

ジョン・ロックの思想はアメリカ独立宣言やフランス革命などにも影響を与え、今の民主主義国家の礎とも言えるのかなと。

ただ、やはり1600年代ということもあって、当時と今では様々な状況が異なります。

なので、少し古めかしい考え方もいろいろと出てくる感じです。

それらを含めて、その根源的な部分に触れるという意味ではとても良い内容だと思いました。

若干読みにくさはある

テーマがテーマだけにというのもありますが、若干読みにくさはあるかなと。

思想書というのもあるのでしょうが、個人的には読み進めるのに少し時間がかかりました。

以下は個人的ジョン・ロックの言葉のメモと個人的な戯言です。

他人に左右されない自分の意志

人はもともと完全に自由な状態にあり、自然法の範囲内であれば、自分の行動を自分で決め、自分の財産や身体を思いのままに処することができる。その際、他人の許可を得る必要もないし、他人の意志に左右されることもない。

ロック. 市民政府論 (光文社古典新訳文庫) (p.12). 光文社. Kindle 版.

非常に当たり前のように感じますが、当時では自由意志という考え方自体が、なかなか難しかったのかなと個人的には感じました。

思いやってほしいなら思いやれ

人は、自分の欲求に反することを無理強いされるなら、あらゆる点で気分を害する。それは、私個人の場合と同じことである。したがって、人に害を及ぼすなら、害をこうむることを覚悟しなければならない。こちらが他人のことを大事にする以上に、他人がこちらのことを大事にしてくれる理由はない。したがって、人と人が本来的に対等な立場にある以上、人からできるだけ大事に扱われたいと願うのであれば、当然のことながら、相手に対してまったく同様の思いやりをもって接しなければならない。

ロック. 市民政府論 (光文社古典新訳文庫) (p.13). 光文社. Kindle 版.

端的に言えば、人から思いやりを持って接してほしければ、まず自身が相手に対して思いやりの心で接しなさいという感じかなと。

当然と言えば当然なのかもしれませんが、自分が社会に出て感じたのは、相手にばかり要求する人がとても多いなという印象です。

自分はメンタルを病んでしまったのですが、そのあたりが一番影響があったかなと。

いいように利用されていたというか。それで多くの時間を失ってしまいました。

平等だからこそ

人間は皆それぞれ平等で独立した存在なのだから、何人も他人の生命や健康、自由、財産を侵害してはならない。

ロック. 市民政府論 (光文社古典新訳文庫) (p.14). 光文社. Kindle 版.

これも基本的なことではありますが、社会に出ると他者の生命や健康、自由、財産を奪おうとする人がとても多いです。

それは詐欺とか泥棒などといったわかりやすい犯罪だけではなくて、拒否権がないような強制の仕事的な何かとか。

または、上手いこと国や自治体などから、お金を得て、仕事をしているふりをしているような組織などもそうですね。

仕事柄いろいろなところに出入りしていましたが、なんというか、何もしてない組織が世の中にはたくさんあって驚きました。

戦争がなぜ起きるのか

地上に、人間全体の上位に君臨する者、訴えに応じて救済の手をさしのべてくれる者がいないのに乗じて、暴力を実際に行使するか、あるいは他人の身体に対して暴力をふるうとの意志を明らかにするなら、戦争状態になる。

ロック. 市民政府論 (光文社古典新訳文庫) (pp.27-28). 光文社. Kindle 版.

ジョン・ロックの言葉を借りると、国家の上に存在する何かが存在しないことが原因なのかなと。

今で言えば、国連がそのポジションに立てればよいのですが、実際にはそれは難しく、結局力の行使を許しているのが今の状態のように思います。

それが難しいのは共通の法が無いからかなと。

ジョン・ロックは、

法の目的は何か。それは、法に服従する者に対して法を公平に適用することによって、罪なき者を保護、救済することにある。法の公正な適用が誠実におこなわれていないと、必ず戦争になる。被害者になるのは、救済を求めて訴え出ようにも、この世ではそのような救済者に恵まれていない人々である。彼らにはそのような場合、天に訴えるしか策は残されていない。

ロック. 市民政府論 (光文社古典新訳文庫) (p.29). 光文社. Kindle 版.

とも書いていて、法の公正な適用も戦争を防ぐ方法なのでしょうが、現状ではなかなか難しいのだろうなと。

決まり事が等しく適用されない社会

統治のもとにおける人間の自由とは、生活に際して守るべき恒常的な決まりをそなえているということなのである。そして、そのような決まりは、社会の各成員に等しく適用されることになっている。

ロック. 市民政府論 (光文社古典新訳文庫) (p.32). 光文社. Kindle 版.

ジョン・ロックのこの言葉を読んで個人的にふと頭に浮かんだのは、日本の政治における裏金問題です。

結局、裏金はあったにも関わらず、政治家は罰せられることはありませんでした。

ただ、これは法律としては正しいです。

なぜなら、裏金を作れるような法律を政治家が作ったから。

なので、裏金問題の本質は、法律を作ることができる人たちが自分たちだけ有利になる法律を作ったことだと自分は思っています。

特に政治については、通常の社会などとは異なる法律がいくつもあり、特例に近い措置が様々存在します。

なんとなく、それが法が等しく適用されない社会だなあなんて感じたところです。

国民に不利益な法律は消滅させた方が良い気がする

仮に、法が存在しないことによってかえって人々が幸福になれるのであれば、法は無用の長物として自然に消滅するはずである。

ロック. 市民政府論 (光文社古典新訳文庫) (pp.62-63). 光文社. Kindle 版.

本書でジョン・ロックは、上記のように書いていますが、実際には法が存在しないほうが国民が幸福であっても法が生まれ、そして運用され続けることも多いのかなと。

個人的に感じているのは、政治をする人と国民の間の意識や認識の乖離が大きくなっているなということです。

特に最近の日本では国民に対して利益を説明できないのに、様々な政策が推し進められているように感じます。

増税は一番わかりやすい例かなと。

増税をすることで国民に利益があるなら、国民が幸福になれるのであれば、それを説明するだけで、一定数の人たちは納得できるのかなと。

でも、政府はそんなことを一切説明しません。

予算が足りないから増税という安直な思考で、おそらく国民をATMぐらいにしか考えてないでしょう。

日本では暴動が起きたりすることは無いと高をくくっているというのもあるかなと。

また、本書の中で、

立法部の権力は、どれほど拡大解釈しても、社会の公益を超えるものにはならないし、臣民を守るほかには何の目的も持たない。だから、臣民を殺したり、奴隷にしたり、故意にその富を奪ったりする権利はない。

ロック. 市民政府論 (光文社古典新訳文庫) (p.140). 光文社. Kindle 版.

と書いています。

ここでの富を奪うは強制的に取り上げるということですが、個人的には過度な増税も国民から富を奪う行為じゃないかなと。

なぜなら、税金を収めなければ罪になるため、収める以外の選択肢が無いからです。

理想的な国家のかたち

一家の父親が子どもたちを愛しその世話に励むなら、子どもたちは必ずそれに気づく。同様に、統治者が本気になって国民の利益を計り、国民とその法を併せて保全しようとするなら、国民は必ずやそれを目で捉え、感じ取るはずである。

ロック. 市民政府論 (光文社古典新訳文庫) (p.216). 光文社. Kindle 版.

理想的な国家のかたちを、父親を例にして述べているのですが、まさにそうだなあと。

今の日本は、これとは逆の状態になっていて、国民の利益をちゃんと考えていないからこそ、多くの国民から反発があることを、日本の政治家の方たちは認識して欲しいと望むばかりです。

主権が国民にあるのであれば、国民の意見を聞くことが大切なのではないかと個人的には思います。

自身の主張や考えを通すのが政治では無いと思うのですが、皆さんはどう考えますか?

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