信長を殺した男 マンガレビュー 本能寺の変 新説

投稿者: | 2021年6月30日

信長を殺した男~本能寺の変 431年目の真実~とは

信長殺害は明智光秀ではなかった!? 文献から当時の状況を再現し、信長殺害の真犯人を紐解いていく物語。

原案は明智光秀の子孫 明智憲三郎、マンガ藤堂裕先生で全8巻、外伝1巻で完結。

評価

☆4/5

本能寺の変については、不自然な点が多いことから、未だに様々な考察がされています。歴史書では明智光秀が主犯とされていますが、それについても不可解な点が多いです。

本書では明智光秀の人となりや当時の状況を説明し、真犯人を探していきます。どういう結末になるかは、ぜひ読み進めてほしい作品。

あくまで明智光秀の子孫の方による新説なので、そこを加味して楽しむのが良いと思います。

この手の歴史新説系が好きならかなりおすすめ。個人的にはかなり面白く読めました(^o^)


信長殺害 勝手な考察

信長殺害の真犯人としてよくあるのは羽柴 秀吉(のちの豊臣秀吉)ですよね。また徳川家康説もあります。

ただ、実行犯としては明智光秀は固まっていますが、明智光秀がなぜ?という理由が明確ではないため、ラインを考える人が多くなっているのかなと。

また、織田信長が様々な勢力や武将からヘイトを買っていたのもあるのかなと思います。

明智光秀が謀反を起こした理由については、現在も諸説あり定まっていません。そもそも明智光秀自身が謀反を起こす理由について記載した史料がほぼないためです。

本能寺に火を放つ意味がわからない

本能寺の変の謎の1つに、信長の首が挙がらなかったことがあります。これはよくよく考えてみるとおかしな話です。

まず本能寺の信長軍は100程度(諸説あるがそれでも200は超えない)、明智軍は1万を超えています。そして、明智軍は本能寺を包囲している状態です。逃げ道はありません。実際に信長が逃げることはできませんでした。

孫子も10倍の兵力であれば包囲するとしており、本能寺を包囲するというのは兵法の基本に忠実です。

しかし、そこに火を放つというのは、意味がわかりません。これは兵法の基本からは外れています。というか、まったく逆のことをしているのです。

そもそも火を放つことで遺体が焼失し、誰が信長かわからなくなる可能性があります。また、突入する部下たちも危険に晒すことになります。いいですか、50倍の兵力差があるのに、わざわざ部下を死地に追いやるなんて、兵法どころか普通の人間だったら指示しないでしょう。

また敵を追い詰めすぎると手痛いしっぺ返しをもらうため、退路を残しておくというのも兵法の基本です。包囲した状態で火を放てば、相手は必死になりまさに窮鼠猫を噛む可能性があります。正直、そんな簡単なことがわからない明智光秀では無かったと思います。

普通に考えると包囲して、降伏勧告をすべきなのです。百歩譲って急襲したとしても、火を放つ意味がわかりません。火を放つ意味がまったく無いのです。

信長自らが本能寺に火を放ったか?

考えられるのは、信長自身が本能寺に火を放った可能性です。確かにその可能性も否定はできないなと思います。

しかし、よくよく考えてみるとこれもおかしな点があります。

まず、謀反は突然でした。いくら日本家屋が燃えやすいとはいえ、50倍の兵力が攻めてきたわけです。一気に信長の首を取ることは可能だったでしょう。

謀反に気がついた時、咄嗟に火を放って、切腹して、信長の遺体を隠して更に火を付けて、燃えきるまで誰も近づかせないように部下に指示しないといけません。いいですか、謀反が起きたとして、すぐさま死を覚悟したんです。後処理も含めてすべて考えて。敵の数が本当はどのぐらいかなんてわからない状態で。そんなことありえますか?

その上、信長の近くに火を付けるものがないといけません。本能寺の変は6月。京都では暖を取るような時期ではないでしょう。個人的にはそんな近くに火は無かったと考えるので、火を起こすところからする必要があると考えています。それも信長自身が。それもありえますか?

個人的な考え

これらのことから、

信長は暗殺され明智光秀はハメられたのではないか?

というのが個人的な見解です。

誰が暗殺を指示したのかはわかりませんが、本能寺に兵が少ないという情報を入手し、刺客を差し向けたと思います。信長を暗殺できたまでは良かったが、部下の抵抗があり、信長の首を持ち帰ることが出来なかったため、死を確実にするために本能寺に火を放ったのでは?というのが個人的推測です。また、数百の兵で本能寺を急襲する場合であれば、火を放つというのもわかります。

その後、暗殺者部隊はちょうど本能寺へ来た明智軍に合流しつつ、全国へ情報を拡散します。この段階で、明智光秀も信長暗殺を知ることになります。ここで明智光秀が何もせずに自害すれば無実を証明できたのかもしれませんが、暗殺者を含めた部下の進言により、発起すること余儀なくされてしまったという流れです。状況としてあとには引けなくなっており、仕方なくという感じです。

その後、信長の首を探したのは本当に信長が殺されたことを確認したかったためと考えられます。なぜなら、伝え聞いた情報しか無かったためです。実際に明智光秀が本能寺へ討ち入ったという史料はありません。

そして、明智光秀の殺され方がわからないというのも頷けます。というのも、明智光秀自身、途中で殺害されていた可能性があるのでは?と個人的には思っています。羽柴秀吉との戦で負けて落ち延びたという話が通説ですが、そもそも戦上手の明智光秀がそう簡単に負けるでしょうか。

  • たった1戦負けただけで?
  • 本軍が倒されてないのに?
  • 相手は寄せ集めの軍なのに?

疑問ばかりです。しかし、明智光秀が殺害されていれば、それも頷けますよね。そもそも明智軍の兵士もなぜ戦うのか意味がわからなかったのではないかと思います。であれば、士気も上がりません。

個人的にはそう考えるのが一番しっくりくるかなと。

首謀者は誰か?

最後に信長に刺客を仕向けた首謀者は誰か?ということですが、明智光秀を担ぐということを考えると、朝廷の勢力というのが一番しっくりきます。または朝廷の一派の一部が暴走したというのもありえる話かなと。

普通に考えると、本能寺の変で一番得をしたのは誰か?と考えるのがわかりやすいのですが、本能寺の変についてはそれ自体によって利を得る人物がほとんどいません。

羽柴秀吉が〜という人もいますが、だったら明智光秀と戦う必要はそもそも無いでしょう。明智を悪者に仕立て上げたかったという説もありますが、明智軍との戦に負ける可能性だってあるわけで、ちょっと考えればめちゃくちゃリスクが高いです。

また、中国大返しが〜という話もありますが、もし自分が羽柴秀吉だったら、本能寺の変が起きた6月2日直後にすぐに明智の首を挙げるように計画を練ると思います。10日もかける必要がありません。

わざわざリスクを追って、なおかつ、戻ってくるのに10日もかけるって、自分で計画していてそんな杜撰な計画ってありえますか?

羽柴秀吉が事前にある程度情報を得ていた可能性はあります。ただ、首謀者説としてはあまりにも弱いでしょう。

徳川家康については、結局、本能寺の変直後、利を得てないですからね。そもそもありえません。

本能寺に火を放ったり、計画の杜撰さから考えると、正直信長を倒すことで勢力を弱めることしか考えていなかったように思います。結果、それを望んでいるのは、朝廷ぐらいしかないかなと。

以上が個人的見解です。

リンク