感情とは「未来予測と現在の差分で発露するもの」ではないか – 個人的メモ

投稿者: | 2023年7月20日

あくまで個人的な考えをつらつらと書いたものです。

感情とは何か

結構前から考えていることなのですが、人間の感情の正体って何なのかなと。

そのヒントとして個人的に考えているのが「ギャップ」つまり、差分です。

無の状態ってのは、人間に常に存在し得るものなのかはわからないですが、例えば楽しいという感情は、感情が無い状態に比べてプラスに働いているように思います。

逆に悲しいはマイナスですね。

単純にプラスとマイナスで表現できることでは無いですが、わかりやすくするためにそう表現しましたが、言いたいことは感情が無い状態との差によって、感情というものが生まれるのが基本だと個人的には考えています。

ここまでは、まあそうかなという話なのですが、そこに時間という軸というか、パラメータというか、時間の概念を加えると、よりわかりやすいのではないか?と最近思っています。

正確には、未来予測で、現在との差分が感情として現れるのではないか?というのが今思っているところです。

未来予測と現在の差分が感情かも

一番わかりやすいのは、安心や不安かなと。

安心の場合でいえば、現在は危険な状態であっても、先の未来に危険なことが予測されなければ、安心という感情が発露するということ。

不安はその逆ですね。現在は危険ではなくても、先の未来に危険なことが予測されれば不安という感情が発露するという感じ。

楽しいについても、同じように考えてみると先の未来も気持ちが高揚している状態でいることを予測できるから今楽しいという感情が発露するということです。

つまり、人間は脳内で未来予測を常にしていて、それと現在の状態を比較し、その差分が感情という形で表に出てくるのではないかなあと。

これまでは何となく、何か原因があって、それによって引き起こされると思っていたのですが、納得ができないことというか、理解しにくいことが結構あって、もしかすると原因は関係ないのでは?と思ったことがきっかけです。

きっかけは怒り

そもそも考えの発端は怒りという感情です。

なぜ人は怒るのか? をずっと考えていたのですが、その時に個人的に思ったのは、未来予測との差分でした。

どういうことかというと、怒りというのは期待した未来予測と異なる結果が出たことで発露するのでは?という話。

同じような事象に対して、人によって怒りのバロメータというか、度合いって結構違うじゃないですか。

で、それがずっと謎だったんですよね。

自分はあまり怒らない方なのですが、それは何か失敗やミスが発生して、マイナスの事象が起きたとしても、それを改善して未来を良くすることに力を注ぐべきだと考えています。

で、人間においては失敗やミスというのは常に発生するもので、失敗やミスが発生する可能性についても未来予測を立てているんですよね。

昔やっていた仕事でシステム開発の場合であれば、失敗やミスを計画の中に折り込んでスケジュールを立てていました。予備日という意味ではなくて、常にリカバリが出来るような計画を立てていたという感じです。

すべて上手くいく前提でスケジュールを立てるとギチギチになることが多く、ちょっとした失敗やミスでスケジュールが狂ってしまったり、エンジニアの方に残業などの追加作業を依頼しないといけなくなってしまったりするのは、良くないかなという考えから。

なので、失敗やミスがあったとしても、まあそうですよねーって感じで、淡々とやっていた感じです。

一方で失敗やミスが発生するとめちゃくちゃ怒る上司がいて、その人はすべてカッチリとスケジュール通りに進まないと気がすまない人でした。そもそも失敗やミスが起こらないようにすべて計画すべしという感じです。

ただ、世の中、そう上手く物事は運ばないので、自分たちが原因ではない、外的要因でスケジュールが狂ってしまうことってあると思うんですよね。

怒る上司はそういう事態が起きると、それを想定していなかったことが悪いというような感じで、激怒していました。ただ、そもそも論として、個人的にすべての要因を予測することは不可能だと思っているので、どうしたものかなといつも悩んではいました。

最近のわかりやすい例で言えばコロナとか。予測できます? コロナが発生してリモートワークがメインになるなんて。

個人的には無理だと思っているんですけど、その怒る上司は大真面目にそれも予測せよって言うんですよね。

で、自分は怒らないのに、上司が怒る理由は何だろうと。

それが失敗やミスなどが発生する可能性の未来予測を立てている自分と、完璧なスケジュールで進む未来予測を立てている上司との違いなんじゃないかなと。

そして現状との差分が大きいほど怒りが大きくなり、差分が小さいほど怒りが小さいのでは?と思ったわけです。

遠い未来もあればちょっと先の未来もある

単純に未来といっても、10年後もあるでしょうし、1秒後もあって、予測している未来によって感情の発露も変わってくるのかなと考えています。

わかりやすいのは不安と恐怖ですかね。

不安はどちらかというと少し先の未来予測と現在の差分で、今日は近い未来予測と現在の差分という感じです。

つまり、似たような感情は、未来予測の地点によって分けられるのかもしれないと思っています。

もちろん原因はあるけど

感情が発露するには、当然原因は存在すると思っています。安心や不安で言えば危険みたいな感じ。

で、その原因が直接感情を呼び起こしているのではなく、その原因によって未来予測が変化したことで感情が発露するという感覚なんですよね。

例えば驚愕という感情がありますが、道を歩いていて何かが飛び出して来たとき、びっくりするわけですが、それは未来予測では何か飛び出してくると予測していなかったから、びっくりするということ。

飛び出してきたものに対してびっくりするということではないという話です。

このあたりはもう少し詰めて考える必要があるかなとは思っています。

まとめ

簡単にまとめると、

人間は常に未来予測をしていて、その未来予測と現在起きた出来事との差分によって、感情が生まれるのではないか?

という個人的な説。

今回は未来予測と書いたけれども、認識と現実のギャップの可能性とか、意識と認識のギャップの可能性もあるかなとか。

言いたかったことは、何か原因があって、それによって直接的に感情が発露するわけではなく、何かしらのギャップが発生したことで、感情が生まれているんじゃないかなーって話。

そのギャップ解消法が感情なのかも。つまり、ギャップが発生したことでストレスがかかり、それを解消する方法が感情という感じ。

まあこのあたり、改めて掘り下げたいかな。

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