電子を人間が観測したから粒子性が現れたのでは無く、実験で次元の影響が小さくなったことで3次元で観測できただけではないか? – 個人的メモ

投稿者: | 2023年7月20日

あくまで個人的な想像をつらつらと書いたものです。そこには裏付けはありませんのでご注意ください。

電子には粒子性と波動性がある

みたいなことを昔習いました。様々な実験と理論から、これは間違いないようです。

で、この2つが矛盾ではないけれど、両立し得ないのが現在の世界というのも知られています。

よく話で出てくるのが二重スリットによる実験。

二つのスリットが付いた板に電子を飛ばし、スリットの先にある板に電子をぶつけるやつです。沢山実験をすると、後ろにある板には干渉縞ができ、電子には波動性があることがわかります。

それぞれは点なので、電子は粒子でもあるわけです。

ここまでは、多くの人が聞いたことがある話かなと。

まあ、これについてはいろいろと詳しい話もありますが、とりあえず置いておきます。

多世界解釈

電子は原子の周りをぐるぐる回っているという図が描かれたりしますが、あれは理解しやすくするための図であって、実際には電子は確率分布で存在していることが分かっています。

で、確率分布ということは、どこにいるかは把握できないのですが、いざ粒子として捉えようとすると一意には決まります。

それが人間の観測によって一意に決まるみたいな話があって、まあ実際どうなのかはわからないですけど、少なくともそう見える、そう考えられてしまうような挙動であるわけです。

で、いきなり宇宙の話になるんですけど、電子が確率分布で存在しているということは、この世界が一位ではないことから、ユニバース(一意の宇宙)ではない可能性があるという話につながり、いわゆる多世界解釈、並行世界が存在するという考えが生まれたようです。

ただ、多世界解釈については現在証明ができないし、証明する方法ってあるのかも不明。

興味深いです。

で、個人的には多世界解釈については否定的というか、無限の世界というのが、よく理解しきれていなんだろうなと思います。

言いたい内容はざっくりと知識として頭にはあるんですけど、腹落ちしてない感じというか。

波動性は複数次元だから生まれる?

で、モニョモニョと一人で考えていたのですが、そもそも波動性って複数の次元に電子が存在するから生まれるんじゃないのかなって思ったわけです。

この世界は実際には多次元なんだけど、人間が認識できていないだけという話。

それがどう波動性と関係あるのかというと、電子は複数の次元に存在していて、人間が観測することが理由なのかどうかはわからないですけど、電子を捉えようとすると、電子の次元が減って3次元になってしまうのでは?と思ったわけです。

ちなみに、そんなことは誰も言ってないので、個人の妄想です。ただ、ふと面白い考え方かなと思ったので、もう少しだけ掘り下げてみようかなと。

2次元と3次元で考えてみる

多次元って想像が難しいので、2次元と3次元で考えてみたわけです。

まずボールを用意します。で、そのボールを地面からある程度の高さに配置するわけです。

そうすると地面に影が映ります。この影を便宜的に2次元の世界としましょう。

でね、部屋の中でやるとわかるのですが、ボールの高さが高いと、影がぼやけるんですよね。

これは部屋のライトが反射とかしたりして、ボールに様々な方向から光が当たっているから。

で、ボールの高さを下げていくと、影が濃くなって、集約していきます。

つまり、ボールを下げるという行為が、電子を粒子として捉えようとすること何じゃないかと思ったわけ。

それが最初に思ったことです。

で、次にレーザー光線のようなライトが天井にあって、下に向かって光をだしている部屋を想像するわけです。

そこにボールを持っていくと、影って1つしかできません。

ああ、そうかと、もしかするとだけど、このライトが次元なんじゃないか?って思ったわけです。

つまり、ボールが複数のライトで照らされているというのは、電子が複数の次元に存在しているってことで、ボールを下に下げる、またはライトをレーザー光線のように絞るってことが、次元を減らしていることなんじゃないかなと。

そんなことを考えました。このあたりは、最新の量子論とか勉強しないといけないんだろうなと思いつつ、考えてしまったのでメモとして。

観察する行為とは?

人間が観測しようとすると波の性質を失うのは、人間が3次元しか認識できない、時空を含めて4次元だとしても、そこが限界という話。

それ以上の次元は認識できていないので、電子を捉えようとすると3次元(または時空を含めた4次元)でしか、捉えることができないわけです。

つまり、電子が複数の次元に存在すると考えるのであれば、電子を観測するには電子の次元を下げるしかありません。

で、別に観測できなくても良いんですよ。ただ、いろいろなやり方で観測しようと実験した結果として、次元を落とす方法を見つけたというのが、個人的な今の考え。

つまり、人間が観測しようとしたからではなくて、観測するには次元を落とす必要があり、その方法が見つかったということじゃないかなと。

実際には次元が落ちているわけではなくて、3次元に近づいただけなのかもしれないし、他の次元の影響が小さくなっただけなのかもしれないけど。

人間の意志が世界に介在している?

人間が観測することによって、つまり人間の意志によって、電子が粒子性を持つという考え方に立脚すると、人間が存在しなければ、電子は粒子性を持たないことなります。

そうなると、人間が存在しない宇宙は存在し得ないのではないかなと。ちょっと哲学的だけど。

でも、それって、どうなのかなと。

何が言いたいかと言うと、人間が存在しなくても宇宙ってのは存在してるんじゃないかなという話。

いや、当たり前の話だろうと言うかもしれないですけど、人間の観測が宇宙の存在に影響を与えているとしたら、人間が観測できなければ宇宙は存在しないはずなんですよ。

で、今はこうやって観測できているけど、昔は観測できなかったわけで、そうなると昔は宇宙は存在しえなかった、または1つしか無かったと考えた方がSF的というか、しっくり来る感じかなと。

だから、人間が観測することで宇宙に何らかの影響を与えるというのは違うんじゃないかなと思ったわけです。

まあ、時間のある時にもう少し勉強しないとダメかな。

まとめ

個人的に思ったことをまとめると、

  • 電子が確率分布なのは電子が複数の次元に存在するため
  • 部屋である高さにボールを設置すると様々な角度から光にボールがあたり地面の影がぼやけるのが確率分布みたいな感じで、部屋のライトが次元という考え方
  • 光をレーザー光線のように絞ったり、高さを下げることで影がはっきりとするのが電子の観測実験で、それによって次元が減っているのか、または次元の影響が小さくなった
  • つまり、人間が電子を観測したから粒子性を持ったのではなく、3次元で観測するには次元を減らす、または次元の影響を小さくする方法が必要で、それが実験で確立されたのではないか

という話。

結局電子が確率分布であるのは、我々が認知できない次元と行き来しているか、認知できない次元に存在し、その写像みたいなものが3次元の世界では見ているのかもしれないなと思ったり。

で、たぶんなんだけど、クォークとかも基本的には複数の次元に存在していて、ただ人間が観測できる状態にするには、次元を減らす、または次元の影響を小さくする方法が必要という点は電子と一緒なんじゃないかなと。

そしてその次元ってのが、どういう次元なのかはわからんし、それを観測することができるかどうかもわからんなあとは思う。

何にせよ、個人的な妄想であって、量子論はもう一回学んでも良いのかもしれないかとは思った。

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