ドラマ「僕らは奇跡でできている」がかなり面白かったです。なんだろうな、人生に疲れている人、仕事に疲れている人に見てほしいドラマかなと思いました。
お話としてはマイペースな大学の講師による周囲巻き込み型ハートフルストーリーという感じ。主人公は面白がる天才と評され、様々なことに疑問を持ち、独自の世界観で解釈していきます。
個人的に刺さった言葉をピックアップして紹介します。
ネタバレを含むのでご注意ください。
なぜカメはウサギに声をかけなかったのか?
第1話ではウサギとカメの童話の中で「なぜカメはウサギに声をかけなかったのか?」という謎が出てきます。
ウサギとカメの童話は、ウサギが油断して寝ている横をコツコツと頑張って進んだカメが追い抜くというお話で、一般的には継続した努力の大切さがテーマとされています。
本作では「カメはウサギが病気で倒れていると思わなかったのか?」という謎が提示されます。まあ、重箱の隅を突くような話ですが、確かに普通に考えれば競技中に寝てしまうというのは異常事態ですよね。普通の人なら最低でも駆け寄って大丈夫かどうかの確認ぐらいはするでしょう。
しかし、カメはそんなことをしませんでした。カメはずる賢かったのでしょうか?
カメの解釈
本作では、
「カメは全然頑張っていません。競争にも勝ち負けにも興味が無いんです。カメはただ道を前に進むこと自体が楽しいんです。カメの世界にもはやウサギの存在は無く、寝ているウサギに声をかけなかったのもそのためです。」
というセリフがでてきます。これは本作の全体的なテーマにも関わってくる内容で、カメの解釈がとてもおもしろいですね。
個人的に仕事が楽しかったときはこの感覚が強くて、昇進をしたいとか、偉くなりたいとかはほとんど無く、ガンガン仕事をしていて、結果として会社に認められていました。同僚の中には意地悪をしてくる人がいましたが、当時はそれが意地悪だと気づかず、後々他の人からそのことを教えてもらいました。逆に眼中に無かったことで、妬みがさらに加速していたようです。まったく気づかずすいません。
ウサギの解釈
では、ウサギの解釈はというと、
「ウサギはカメを見下すために走るんです。自分はスゴいって証明したいんです。」
と表現されています。
この言葉、結構ドキッとしました。自分の若い時にすごくそんな感じだったなあと。歳を取って考え方が徐々に変わってきて、今はそういう感じでも無いのですが、昔はまさにウサギでしたね。
また、昇進など上を目指す人は、このような上昇志向に通づる思考が無いと昇進はできないでしょうから、モチベーションとしては大切なのですが、このような人が上司だと部下は大変ですよね。というか、自分は大変でした。
皆さんはどう感じましたか?
今あらためて思うこと
今はちょっと人生の休憩時間的なところもあり、いろいろなことを考える時間があります。
僕らは奇跡でできているを見て、改めて人生を楽しむことの大切さを実感しました。
生きていくためにはお金が必要で、お金のために働かなくてはいけないというのはわかりますが、苦痛を伴ってまで無理して働き続けるのは、やっぱり大変だなと。
社会に適応すべきか? 社会を人間に適応させるべきか?
と書いたのですが、本作を見て自分主体か、周り主体かと言い換えても良いかもしれないと思いました。
自分主体というとわがままを通すようなイメージがありますが、それは自分本位という言葉が正しいきがします。
自分主体と自分本位、似ていますがニュアンスは結構違うかなと。どちらも自分が中心ではあるのですがニュアンスとしては
- 自分主体は自分自身がどうしたいかが中心に考えること
- 自分本位は自分が他者よりも中心であると考えること
という感じかなと。
つまり、自分主体は自分自身のみの話ですが、自分本位は自分と他者が出てくるんですよね。自己中心的と言われるのは自分本位の方です。
僕らは奇跡でできているのウサギとカメの話で言えば、自分主体はカメ、自分本位はウサギということになります。