愛とは何か? 愛は計測できるか?〜時間ベースで愛を考えるで少し書いたのですが、個人的にかなり前から考えている時間基軸理論(Time Based Theory)を元にトロッコ問題について考えたメモです。
目次
時間基軸理論(Time Based Theory)とは
時間基軸理論(Time Based Theory)とは、
「すべての事象を時間に変換して考える、価値を比較する」
という個人的な考え方です。
まったく異なる事象であっても、時間にすべて変換することで、価値が比較できるのでは?と考えています。
また、価値換算がしにくいものも、時間変換することで価値を算定できるかなと。
愛については前述の記事で書いているので、今回はちょっと割愛します。
補足としては、過去に費やした時間も数値としてカウントするのもアリだなと思ったぐらいです。
トロッコ問題とは
トロッコ問題とは、多数の命を助けるために1人の命を犠牲にする判断は道徳的に正しいのかという倫理学の思考実験。
具体的には、自分が線路の分岐点にいて、Aの線路の先には5人の作業員、Bの線路の先には1人の作業員がいる状態で、電車が迫ってきており、分岐点の機械を動かして、電車をAに向かわせるのか?それともBに向かわせるのか?みたいなやつ。
で、実はもう1つあって、それが歩道橋問題というもの。
歩道橋問題は、電車が迫っていて、その先に5人の作業員がいる時に、自分の隣にいる作業員の1人を線路に押し出し事故を起こすことで、5人の作業員を救うかどうか?とうもの。
この2つの問題において、最初のトロッコ問題では、Bの線路の方に電車が進むようにすると回答する人が多いものの、歩道橋問題では隣の人を押すのは良くないという回答が多くなるそうです。
どちらも1人を犠牲にしていることに変わりはないのですが、歩道橋問題では自身が直接手を下すという点で抵抗感があるということでしょう。
当たり前のように思いますが、何かこれ、戦争をする権力者たちの考えにも近いなと思ったりしました。
と、それはまた別の話なので、話を戻しましょう。
線路の先ではなく、作業員が目の前にいたら?
線路の先というと、何だか遠い印象です。
では、顔が見える距離、2〜3メートル先ぐらいで、トロッコ問題を考えたらどうでしょうか?
電車に轢かれてしまった人の一部が自身に降り掛かってくる距離です。
これは結構ためらう人が多いのではないでしょうか?
自分は分岐点の機械を操作するだけですが、眼の前で事件が起きるので、流石に決断に勇気が入りそうです。
距離は時間
で、ここで最初の時間基軸理論の話に戻すのですが、距離が近いというのは結果がすぐにわかる、つまり時間が短いということなのかなと。
もっと言えば、結果までの時間が短いものほど人は重要に考えるのではないか?ということです。
先程の歩道橋問題について、隣の人を押すというのは、まさに電車が近づいてきてからなので、結果までの時間が短いです。
ここで隣の人を押した時に、その人が80歳まで生きた上で電車の前に飛び出すことになるとしたらどうでしょうか?
結果が先延ばしになると、隣の人を押すことに対する罪悪感が薄れると感じないでしょうか?
あくまで思考実験なので、そんな状態はありえないのですが、そもそもトロッコ問題もありえません。
そんな状態なら今の時代、スマホで電話しろよって思いますし、自身が線路に出て電車が停まるように合図して、ギリギリで線路から出るという方法だってあります。
その前提で考えてみてください。
大切なのは、「結果までの時間が短い方が重要と感じ、結果までの長いと軽んじやすい」のではないか?ということです。
今年の目標が達成しにくい理由
いきなり、道徳問題から身近な話になってしまいますが、皆さんは今年の目標って毎年達成できていますか?
自分は結構達成できていないことが多いです。
具体的な期日があるものなどは、達成できていることが多いですが、ダイエットなどは失敗続き。
で、先程の「結果までの時間が短い方が重要と感じ、結果までの長いと軽んじやすい」という考え方を適用すると、なんかしっくりきませんか?
つまり、1年先の目標は軽んじやすいということです。
逆に言えば、結果までの時間、つまりここでは目標達成までの時間を短くすれば、目標が達成しやすいとも言えます。
例えば、毎月ごとの目標を立てれば、1ヶ月スパンになるわけです。
ただ、個人的には1ヶ月も実は長いかなと。理想的には毎日の目標が良いと考えています。
しかし、365個も目標を立てるのは大変ですよね。
なので、今年の目標を365分割するのが良いかなと。
例えば、ダイエットであれば、毎日野菜を食べるという目標です。あくまで例なのでダイエットに効果があるかはわかりません。
ただ、今年の目標を体重-10kgよりも、毎日野菜を食べるという方が達成しやすいかなと。
そう感じるのは、「結果までの時間が短い方が重要と感じ」ているからではないか?というのが、今回言いたかったことです。
余談:トロッコ問題に明確な回答がない理由
これは完全に余談ですが、トロッコ問題に明確な回答がない理由は、そもそも問題設定が良くないからではないか?というのが個人的な考えです。
そんな状況が起きないという話ではなくて、そもそも善悪や倫理観、道徳などの概念は人間が生み出したものであるという話。
なので、時代や社会、状況によって回答が変化するということです。
例えば、もっと文明が進んでいなかった時代と、逆に文明が超進んだ社会では、きっと現代と答えが違うでしょう。
文明が超進んだ社会を想像した時、これも人によって違うと思いますが、人間の個体差がほぼ無くなり、人間同士の意識が共有されているとしたら、誰が犠牲になっても変わらないので、功利主義的な考えが正解になるのかなと。
また、条件が変化すると、とたんに答えが難しくなります。1人の作業員の方に家族がいるとか、5人の作業員は全員死刑を宣告された犯罪者だったとか。
そのため、考え続けても答えは無いのかなというのが個人的な見解です。
時代や社会が変わった時に改めて考えるのが良いかなと。まあ、そのときには自分は存在してないと思いますけど。
余談2:核発射装置のボタンは押しやすい
トロッコ問題と歩道橋問題の回答のところで、戦争を起こす権力者と似ているなという話を書きました。
自分がふと思ったのは、核発射装置のボタン。
眼の前で自分が人に危害を加えるより、核発射装置のボタン方が押しやすいんだろうなと。
核ボタンに限らずですが、実際に戦場で戦う兵士と、それを命令する権力者で、考え方が違うというか価値観が違うのは、そういうことなのかもなと思ったりしました。
つまり、戦場で戦う兵士にとっては歩道橋問題であって、権力者にとってはトロッコ問題でしかないという話。
だから、安易に戦争を決めることができてしまうのかもしれないなと。
もし、戦争を決定する人が、最前線で戦うことを必須とした場合、一体何人の権力者が戦争の決断を下せるのだろうと思いました。