哲学ボードゲームの会に参加しました(哲学対話)

投稿者: | 2025年3月23日

哲学ボードゲームの会に参加

先日、

3/14【金・オンライン】岡山広島歓迎★人生を語り合える!カフェ交流会 2025年3月14日(オンライン・Zoom) – こくちーずプロ

に参加しました。

きっかけは、友人からのお誘い。

哲学ボードゲームという言葉が気になるとのこと。確かに。

で、参加してみたのですが、ボードゲームというよりもカードを使ってテーマを決めるというタイプでした。

自己紹介では雑談カード

最初に自己紹介をしたのですが、その際にも雑談カードを使用しました。

自分のときは、アウトドア派?インドア派?だったかな。

これは手法として面白いなと。

テーマの詳細もカードで

大枠のテーマについては、5つあって、自分が決めることになりました。

テーマは「むなしさ」。

ちょうどいろいろと虚しい出来事が多かったので(笑)

で、さらにそこからカードを使って、より詳細な問いで話をするというスタイルです。

このカードについては、哲学対話を主催する人にとっては、結構便利な気がしました。

1人ずつ話すスタイル

哲学対話は参加する会によっていろいろとスタイルが違います。

この会では、1人ずつ話して一周したら次のテーマに移るという感じです。

はじめてのパターンということもあって、これはこれで面白いなと思いました。

以下はメモ

虚しくなったとき

自分が虚しさを感じるのは、投入した時間に対する損失がわかった時です。

仕事とかではなくて、人に対して投入した時間。

もっと具体的に言うと、「あれだけ話したのに何も伝わって無かっただんだなあ」って時です。

自分は時間を大切に考えています。

時間は嘘をつかないので。

たとえば、一緒にいる時間が3時間だとしたら、その3時間はどうやっても長くも短くもならないんですよね。

もちろん、その中の体験によって価値は変わるでしょう。

でも、3時間を使ったことは間違いないですし、3時間を自分のために割いてくれたことが、自分にとっては重要だと考えています。

なので、自分は自分に対して時間を使ってくれる人を大切にしたいですし、その人のために時間を使いたいというのが自分の考えです。

ということを、時間基軸理論を交えて話したのですが、まったく伝わってなかったなと。

参考:トロッコ問題を時間基軸理論で考えてみる | ネルログ

難しいですね。人間関係って。

人生そのものが虚しい

話の中で、人生そのものが虚しいというのがありました。

個人的にですが、虚しいというのは、人間が付けた意味かなと思っています。

人生自体に意味が無いというのが自分のスタンス。

言ってしまえば、りんごが地面に落ちるという現象と、人生自体は同じだと思っています。

そこには意味はなく、ただの物理現象的な。

味気ないと思われるかもしれません。でも、実際そうなのかなって。

だったら、意味を作りたいじゃないですか。

というのが自分の生き方です。

人生に意味を付与することが人生というか。なんか、変な言い回しですけど。

そして、虚しいというのも、人生に意味を付与しているのかなって。人生は空っぽだという意味です。

それは人それぞれで、正しいとか間違っているとかはありません。

ネオソクラティックダイアローグ

これまで参加した哲学対話は、合意をしないというか、それぞれ好きなことを言って終わるというスタイルでした。

ただ、ネオソクラティックダイアローグという方式があって、それは参加者全員の合意形成をするスタイルのようです。

1回は参加してみたいなと思いつつも、結構パワー使いそうだなって思いました。


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