
哲学ボードゲームの会に参加
先日、
3/14【金・オンライン】岡山広島歓迎★人生を語り合える!カフェ交流会 2025年3月14日(オンライン・Zoom) – こくちーずプロ
に参加しました。
きっかけは、友人からのお誘い。
哲学ボードゲームという言葉が気になるとのこと。確かに。
で、参加してみたのですが、ボードゲームというよりもカードを使ってテーマを決めるというタイプでした。
自己紹介では雑談カード
最初に自己紹介をしたのですが、その際にも雑談カードを使用しました。
自分のときは、アウトドア派?インドア派?だったかな。
これは手法として面白いなと。
テーマの詳細もカードで
大枠のテーマについては、5つあって、自分が決めることになりました。
テーマは「むなしさ」。
ちょうどいろいろと虚しい出来事が多かったので(笑)
で、さらにそこからカードを使って、より詳細な問いで話をするというスタイルです。
このカードについては、哲学対話を主催する人にとっては、結構便利な気がしました。
1人ずつ話すスタイル
哲学対話は参加する会によっていろいろとスタイルが違います。
この会では、1人ずつ話して一周したら次のテーマに移るという感じです。
はじめてのパターンということもあって、これはこれで面白いなと思いました。
以下はメモ
虚しくなったとき
自分が虚しさを感じるのは、投入した時間に対する損失がわかった時です。
仕事とかではなくて、人に対して投入した時間。
もっと具体的に言うと、「あれだけ話したのに何も伝わって無かっただんだなあ」って時です。
自分は時間を大切に考えています。
時間は嘘をつかないので。
たとえば、一緒にいる時間が3時間だとしたら、その3時間はどうやっても長くも短くもならないんですよね。
もちろん、その中の体験によって価値は変わるでしょう。
でも、3時間を使ったことは間違いないですし、3時間を自分のために割いてくれたことが、自分にとっては重要だと考えています。
なので、自分は自分に対して時間を使ってくれる人を大切にしたいですし、その人のために時間を使いたいというのが自分の考えです。
ということを、時間基軸理論を交えて話したのですが、まったく伝わってなかったなと。
難しいですね。人間関係って。
人生そのものが虚しい
話の中で、人生そのものが虚しいというのがありました。
個人的にですが、虚しいというのは、人間が付けた意味かなと思っています。
人生自体に意味が無いというのが自分のスタンス。
言ってしまえば、りんごが地面に落ちるという現象と、人生自体は同じだと思っています。
そこには意味はなく、ただの物理現象的な。
味気ないと思われるかもしれません。でも、実際そうなのかなって。
だったら、意味を作りたいじゃないですか。
というのが自分の生き方です。
人生に意味を付与することが人生というか。なんか、変な言い回しですけど。
そして、虚しいというのも、人生に意味を付与しているのかなって。人生は空っぽだという意味です。
それは人それぞれで、正しいとか間違っているとかはありません。
ネオソクラティックダイアローグ
これまで参加した哲学対話は、合意をしないというか、それぞれ好きなことを言って終わるというスタイルでした。
ただ、ネオソクラティックダイアローグという方式があって、それは参加者全員の合意形成をするスタイルのようです。
1回は参加してみたいなと思いつつも、結構パワー使いそうだなって思いました。