1/19(日)に参加した哲学対話「スマホは我々を豊かにするか?」の私的メモです。
とりとめもなく、話も飛ぶのであしからず。
目次
神社のサブスクリプションサービス
最近の神社では、お賽銭をPayPayで払うことができるそうです。
知りませんでした。
で、PayPayで払った際に、お賽銭を入れる音がしたら良いみたいな話があって、それは良さげなアイデアだなと。
そんな話を聞きながら、自分の頭の中では、神社がサブスクリプションサービスを展開したら面白いかもなあとか思ってました。
サブスクリプションで毎月お金を払うことで、毎月神社側でお祓いをしてくれるというもの。
お祓いの様子は動画で撮影されて、後から見れるようになってるみたいな。
また、毎年御札やお守りを送ってくれて、返送用の着払い封筒も送られてくるというのもアリだなと。
その一方で、サブスクリプションサービスにすると、神社の位置づけというか意味合いも変わって来そうな気がしています。
具体的には、これまでは神様に守ってもらう、または願いを叶えてもらうためにお賽銭を払っていたわけです。
しかし、サブスクリプションサービスがメインになった場合、お金を払っている人たちが神社を守っているような感じになるということです。
神社、神道という文化を守るためにサブスクリプションでお金を払うみたいなイメージ。
神社が潤えば、観光名所としての価値も上がったりするかもなあとか。
そういう意味で、新しい神社のカタチが模索できるかもとか思ったりしました。
「便利=豊か」ではない
スマホが普及し、使いこなす人が増え、様々なアプリが登場し、私たちの生活は大きく変化しました。
海外旅行では、スマホってかなり便利ですよね。
翻訳に使ったり、地図を見たり、観光地の情報をその場で調べることもできます。
また、財布を落としてしまっても、スマホがあれば何とかなることも多いです。
スマホによって、できることが格段に広がったことは間違いありません。
しかし、便利になったことが豊かかどうか?というのが、今回の哲学対話の全体的な疑問というか、主題になっていた気がします。
少なくとも、全体的な話の感じでは「便利=豊か」ではないだろうなと。
スマホのメリットはたくさんありますが、逆にデメリットも多いというのも、豊かになっているのかが疑問です。
例えば、スマホでSNSや動画などを見てしまったり、ゲームをしてしまったり、時間を奪われてしまっているという話。
哲学対話は、結論を出す場ではないので、いろいろな意見や考え方があるので、正解というのはありません。
ただ、個人的な落とし所としては『スマホで得られる豊かさはある』という感じかなと。
インターネットには間違った情報はあるが
話としてスマホ自体というよりは、インターネットやインターネットサービスに関することも非常に多かったです。
その中で一つの焦点になっていたのは、インターネットの情報について。
話をまとめると、
- まとめ系の動画などの有益性と情報の浅さ
- 間違った情報の流布
の2つ。
まとめ系の動画などで知識を得た気になるのは危険ではないか?という話もあれば、ざっくりと最初に知る分には有益という意見もあります。
どちらもその通りかなあと。
また、間違った情報の流布については、個人的にはインターネットというよりは、新聞やテレビも一緒だと思っています。
特にサイエンス系の記事については、間違った情報が普通に発信されるので裏取りは必須かなと。
例えば、結構前の話ですが、マイナスイオンは典型的な誤情報でしたが、多くのメディアがこぞって話題にしていました。
当時はいくらエセだと言っても、信じて貰えないことが多かったです。
理系の人間なら、すぐにおかしさに気づきますが、それ以外の人にとってはメディアの内容を鵜呑みにしているという状況。
これは物理や化学に対する知識の無さが原因かなと。
なので個人的には理系文系不要論を唱えています。
と、話が逸れましたが、インターネットの発達によって間違った情報が流布するも、その裏取りがしやすくなったので、個人的にはとても良い時代になったと思っています。
結局、受け手側の問題という話でもあるのかなと。
自由とは何か?
昔は自由だったが、今は自由ではないという意見がありました。
これは興味深い考え方だなあと。
個人的には、今の方が自由だと考えていたので。
また、自由の定義にもよりますが、何をしても良いというのを自由とするなら、今の時代の方ができることが多い気もします。
ただ、犯罪をすれば捕まりますが、法律で決まっているのは、やってはいけないことではなく、やると罰則があることだけです。
だから、犯罪は今も無くなってませんよね。
犯罪者は、犯罪をする自由を行使していると考えることもできるというわけ。
それぞれが選択肢をしているので、それは自由なんじゃないかなと個人的には思いました。
ちなみに、自分は「社会の利益を損なわない範囲であれば、何をしても良い」と思っている派です。
当然ですが、犯罪は社会の利益を損なうのでNG。
法律に規定されていなければ、何をしてもOKか?というと、社会の利益を損なうようなものはNGだと思っているので、単純に法令遵守だけではないとも考えています。
そもそも、個人的に善悪の定義と考察〜善とは何か? 悪とは何か?で、
- 善とは社会の利益を追求する行動
- 悪とは個人の利益を追求し、結果として他者や社会に不利益をもたらす行動
と定義していて、それに則っているという感じ。
今後、この定義も変わるかもしれませんが。
情報の多様性も必要か?
多様性というと、性的マイノリティの話がメインになりがちかなと。
ただ、そもそも多様性が求められるのは、DNAというシステムの影響が大きいです。
バベルの塔は神ではなくDNAが破壊した話でも書きましたが、DNAというシステムが現状残っているのは、DNAというシステムが作り出す多様性によって、環境変化に適応できたからという感じ。
そういう意味では、RNAというシステムも環境変化に適応し、生き残ったシステムと言えるかなと思います。
で、もしかすると情報についても、多様性が必要なのかもなあと、ふと思ったりしました。
後から、間違った情報だということが判明したとしても、1つの情報しか無い場合と、複数の情報がある場合では、生存確率が上がるという話。
例えば、右と左、どっちの道に進むべきか?という選択肢があった場合、右が良いという情報しかなかったら、全員が右に進んでしまうということです。
もし右が全滅の道だったら、そこですべてが終わります。
しかし、左が良いという情報が少しでもあれば、それを信じる人もいるかなと。
なので、生存確率が上がるということです。
また、サイエンスが例外なのは、再現性をベースとしているため、情報の精査というか、証明ができるので、証明された部分は土台になります。
しかし、未知の領域というのは、まだまだたくさんあって、そこについては、やはり多様性が必要かなと。
というか、多様な考えがあって、それらを1つ1つ潰していきながら、正解に近づいていくイメージ。
と書いていたら、なんかアポトーシス(細胞の自然死)みたいだなと思いました。
この思考の流れというか、考えの進め方がもしかしたら、本質的な部分なのかもしれません。
つまり、多様な情報を出してから、不要な部分を削っていくという構造というか、フレームワークというかシステムというか。
これはまた別の機会に考えようかな。
豊かポイントで豊かさを計測
そもそも豊かとは何か?みたいな話もあって、結局、何を豊かと感じるかは人それぞれだよねと。
で、十人十色なのは良いとして、人によって豊かと感じる指針というか、トリガーがあるんじゃないかかと。
それをパラメータとして設定できれば、豊かさを測ることができるかもしれません。
定性的な話でもありますが、ざっくりと自分は豊かになっているのか?というのが、見えてくるかもしれないなと。
例えば、家族が幸せなこと、友だちがいること、酒が飲めること、余暇が多いことなど、自分にとっての豊かさを列挙し、それぞれをポイント化、または、それぞれの項目を1ポイントとして、総合のポイントを算出するという感じです。
豊かさを時間変換してみるとどうなるか
前述した時間基軸理論の話ですが、豊かポイントを時間変換して、価値を比較したらどうなるのかな?と思ったりしました。
ぼんやりとですが、その豊かさを得るために費やした時間というのが、精神的な豊かさと関係しているのかもしれないなと思ったり。
つまり、単純に豊かポイントが1ポイントというわけではなくて、その1ポイントに費やした時間を掛けるという感じです。
それが豊かさの価値みたいな。
豊かさの価値=豊かポイントx費やした時間
また、費やした時間に対して、価値を感じるのは、いわゆるサンクコスト効果でもあります。
前述した、まとめ系の動画に対して否定的な意見として、情報の浅さというのがありますが、それは裏を返すと費やしている時間が少ないとも受け止めることができるかなと。
肯定的な意見としては、言ってしまえばタイパ(タイムパフォーマンス)ですね。
これは自分の時間を節約できたことに価値を置いているという話。
つまり、肯定的な意見と否定的な意見では、論点というか、重要と考えている点が違うと言えそうです。
豊かとは
今回のメインは、あくまでスマホと豊かなので、豊か自体をそこまで深堀りしなかったというか、そもそも豊かだけで、相当話ができてしまうので、あまり深入りしないようにしたというのが正しいですね。
goo辞書によれば、豊かとは
1 満ち足りて不足のないさま。十分にあるさま。「黒髪の—な女性」「緑—な森」「才能の—な画家」「国際色—なマラソン大会」
豊か(ゆたか)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 – goo国語辞書
2 経済的に恵まれていてゆとりのあるさま。「—な家に育つ」「—な生活」「給料日後で懐 (ふところ) が—だ」
3 心や態度に余裕があって、落ち着いているさま。「—な心を育む音楽」「心—に余生を過ごす」
だそうです。
1は量が多いという解釈もできるのかなと。そう考えると、スマホによって得られる情報が増えましたし、多数のアプリでできることも増えましたし、情報や知識などについては充分に足りている気もします。
2はお金ですが、スマホによってお金を稼ぐことができるようになりつつあります。ただ、恵まれているという点では、一部の人たちだけなのかなと。
3については、逆にスマホによって時間を奪われているような気もしますね。デジタル断ちなんて言葉があるぐらいなので、スマホによって心の余裕が失われている人も多いと思います。
話題の中では、物理的豊かさ、精神的豊かさという表現がありました。
ただ、情報的豊かさ、知識的豊かさみたいなものもあるかもと思ったりします。
スマホが無い生活はできるが・・・
最後に、スマホが無い生活というのは、現代も可能です。
ゴミ箱に捨ててしまえば良いので。
しかし、スマホのある生活というのは、昔はどうやっても実現できませんでした。
つまり、何が言いたいかというと、スマホを使うか使わないかの選択肢があること自体が、個人的には豊かになっていることなんじゃないかということです。
選べる自由があるということ。
スマホをうまく使いこなすか、それともスマホに操られるのかは、その人次第であって、スマホには責任が無いようにも思います。
あと、個人的にですが、豊かな状態って笑顔が多い状態なんじゃないかなって。
そう考えると、スマホによって笑顔が増えている気はするので、豊かになっているんじゃないかなと思いました。