理系文系不要論〜高校時代に理系文系を分ける必要はあるか?

投稿者: | 2023年8月5日

あくまで個人的な考えをつらつらと書いたものです。

理系文系不要論

日本では大学受験に向けて高校生の段階で理系と文系を分け学ぶ内容を変えています。

しかし、高校生の段階で理系文系を分ける必要性はあるのでしょうか?

個人的にですが、高校生の段階では全員理系の分野、つまり物理・化学を学習をした方がよいのでは?と考えています。

その最大の理由は、科学に関する知識を学ぶことができるからです。

似非科学を見破りやすい

枚挙にいとまがないのですが、令和になった昨今でも似非科学はかなり蔓延っています。

SNSなどによって、その間違いが指摘されることも多くなりましたが、逆にSNSなどによって似非科学が広まりやすくなったとも言えるでしょう。

また、似非科学を信じる人達がコミュニティを形成しやすくなったことも挙げられます。

近年では知識の多様化、深化によって、判別が難しいような内容もあることは確かですが、高校レベルの物理・化学の知識があれば、見破るのが容易な内容が多いです。

科学の基本

科学の基本的な考え方の1つに「同じ条件であれば同じ結果になる」というのがあります。

最近、常温超伝導の話題がニュースで取り上げられていますが、論文を出したからと言って、それでOKという世界ではありません。

他の研究者たちが論文を査定し、同じような結果がでること、いわゆる再現性があることが確かめられ、理論的な検証もされた上で初めてOKとなるわけです。

この工程が「同じ条件であれば同じ結果になる」の意味でもあります。

逆に言えば、他の研究者が再現性を確認できなければ、例えばSTAP細胞のように、それは間違いでしたねと判定されるわけです。

だから科学は人間が築き上げた知識体系の中でもっとも確からしいと私は考えています。

科学にも間違いはあるが

科学でも過去の理論などが間違っていたなんてことがあり、それを理由に科学を否定する人たちもいます。

なぜそのようなことが起きるかと言えば、その当時と今とでは条件が異なっているからです。

わかりやすい例で言えば、相対性理論や量子力学があるでしょう。

この世界は所謂、リンゴは木から落ちるというニュートン力学で成り立っていると思われていました。

しかし、ニュートン力学では説明できない事象が多く観測されたことで、新しい考え方が生まれます。それが、アインシュタインの相対性理論や量子力学です。

これをしてニュートン力学が間違っているか?と言われると、それは正しい言説ではありません。

なぜならば、科学は「同じ条件であれば同じ結果になる」という前提があります。

ニュートン力学が生まれた時と今では、条件が異なっているのです。同じ世界なのに?と思うかもしれませんが、技術の発達によって観測精度が上がったり、新しい現象が発見されたり、それまで観測できなかった事象が観測できたりすることで、条件が変化しているのです。

条件が異なれば、当然ですが異なる結果になるのは当たり前。それが科学の基本スタンスと言えます。

そういう意味で、科学は人間が築き上げた知識体系の中でもっとも確からしいという表現を使っているのです。

こういう科学の考え方やスタンス、科学の知識があることで、様々な似非科学を見破ることができます。

そのような情報を高校の段階で奪ってしまうことが、個人的にはもったいないと思いますし、似非科学を増長させてしまう原因でもあるのではないかなと。

理系と文系の違い

理系の場合、大学で学ぶ専門的な学問では物理や化学の知識が必要です。高校までで学ぶ物理や化学の知識が土台となっていて、大学で改めて学ぶことは無いですし、どの分野においても物理や化学の知識というのは必要になります。

例え数学科だったとしても、物理や化学の知識は関わってくるのです。なぜなら、数学と科学はとても密接に関わっていますし、そもそも科学の法則は数式で表現されていますよね。切っても切り離せない関係です。

では、文系はどうでしょうか?

高校までで習った文系の知識は、大学で学ぶ専門的な学問において、ベースとなっていることは確かですが、切っても切り離せない関係ではありません。どちらかというと、その一部をより深くした内容が文系の学問と言えます。

また高校時代に全く学んでいなかった分野も多数存在しますよね。例えば心理学なんかがそうです。

言ってしまうと、文系の学問分野は大学になってから学び始めることはできますが、理系ではそれが難しいのです。

ここが理系と文系の大きな違いだと個人的に思っています。

フェイクニュースが生まれる理由

最近では結構減ってきましたが、昔は新聞やテレビのフェイクニュースがかなり多くありました。

科学の分野のニュースは間違っていることが多く、似非科学を堂々と報じていた時期もあります。

ある程度年齢を重ねている方であれば、マイナスイオンがわかりやすい例ですね。

そもそもマイナスイオンは化学の用語に存在します。しかし、新聞やテレビが報じたマイナスイオンはまったく別物です。

さらに、マイナスイオンについては人間の健康にどの程度影響を与えているのかはわかっていません。

プラスなのかマイナスなのかも、論文が分かれていて、定まっていないのです。

一番ひどかったのは、水を電気分解してオゾンを発生させる装置。オゾンは毒性が強く、正確には様々な物質とすぐに結合しやすいため、細胞を破壊する物質です。そんなオゾンを発生させる装置を、普通に健康に良いとして販売していたこと。

確かにオゾンは細胞を破壊するので、細菌などにも効果があり、殺菌や脱臭に使われることがあります。しかし、大量に吸い込めば人体にも影響がある物質です。

それを健康に良いと報道してしまうのは大問題でしょう。

オゾンについては高校の化学で学ぶので、高校の知識があれば、すぐに気付ける内容です。

しかし、新聞やテレビに携わる人々というのはほぼ文系で、高校生レベルの科学知識すらありません。ですので、広まってしまったマイナスイオンという言葉が科学で使われている意味と違うことすら気づいていません。

もう1つ大きな事例としては、東日本大震災における放射能もそうですね。当時は、福島で放射能による被害が多発すると、新聞やテレビ、ジャーナリストたちがかなり騒いでいました。

そして今でも、汚染水に関することで騒いでいますね。

放射能についても高校物理で学ぶ知識です。それを知っていれば、正確な報道ができたと思いますが、残念ながら報道関係者の多くは文系ですので、放射能の知識がありません。これは政治家も一緒ですね。

当然ですが、文系の方の中にもちゃんと科学を学び、情報発信をしている方も多く存在します。しかし、それは少数派です。

また、報道関係者や政治家は科学について学ぶべきなのですが、多くの人たちはそれを拒否します。

その結果、間違った情報が巻き散らかされ、無駄で非生産的な議論が多く行われいるのが現状です。

個人的には、もうそういう時代ではないと思っていますが、大人になってから高校生の知識を学ぶというのは、本人のプライドが許さないのでしょう。または科学は難しいものとして忌避しているのかもしれません。

しかし、高校生レベルの話です。大学に進学するような人間であれば、理解でない話では無いと思います。

大学入試を変えるべき

少し話を戻して、高校の段階で理系文系を分けるのは、大学入試のためと冒頭で述べました。

個人的にはここが一番の問題なのかなと思っています。

大学入試の段階では、理系文系問わず、物理や化学についても受験の対象にすべきではないかという話です。

学ぶことは多くなりますが、それはすべての受験生が一緒なので、結果としては変わらないでしょう。

また前述したように、理系は高校の物理・化学の知識がベースとして必須ですが、文系はそうではありません。ですので、理系文系問わず物理・化学を必須にしても影響は無いと思います。

物理・化学の知識は不要か?

大学入試で物理・化学を必須にするデメリットとして考えられるのは、大学で学ぶ時に使わない、社会人になってからは使わないという意見でしょうか?

個人的には、そのようには考えていません。

というのも、科学の「同じ条件であれば同じ結果になる」という考え方は、文系の学問においても必要だと考えるからです。

一番わかりやすいのは、エビデンス(証拠)かなと思います。

最近ではSNSなどでもエビデンスを出せという言説が流行っていますよね。これって当たり前のことなのですが、文系の方たちからすると、なぜエビデンスが必要なのかわかならい人が多いようです。

エビデンスに使われるのは、公式の発表や論文、写真や動画などがあります。これらは確からしさを高める情報で、それがエビデンスです。

ここでも確からしさという言葉を使いましたが、「科学は人間が築き上げた知識体系の中でもっとも確からしい」と一緒。

なぜエビデンスが必要なのかと言えば、主観と客観が一番わかりやすいかなと思います。

典型的な文系の人は主観を重要視していました。今はもう昔の話と言いたいですが、まだまだ主観、いわゆるお気持ち表明が重要だと思っている方も多いようです。エビデンスは言ってしまえば客観と言って良いでしょう。

そしてなぜ客観が必要なのかといえば、これは科学における再現性と感覚的には似ているところがあります。

つまり、客観によって他の人が見ても、その言説が確からしいと考えられるためです。まさに科学の考え方に近いといえるでしょう。

今はエビデンスを非常に求められる社会になってきたので、科学の考え方がベースになりつつあるとも言えるのです。

ですので、社会人になっても使えますし、そもそも似非科学に騙されにくくなるという効果もあります。

最後に

自分は物理や化学、数学が苦手で、昔のセンター試験では文系の点数の半分しか点数が取れませんでした。

いろいろとあって大学は理系に行くことになりましたが、結果として理系に進んで良かったと思っていますし、高校時代に物理や化学を勉強しておいてよかったなと思っています。

その一方で、ここまで書いてきたように、新聞やテレビの報道の中でも特に科学における間違った情報の流布に、ずっと疑問を感じていました。

大学卒業後はいろいろとあって、インターネットのWebメディアに関わることになり、その際にあまりに周囲の人々の科学に関する知識の低さに、かなり驚きもありました。

前述したように高校生レベルの話ができていないのです。

理系の専門的な分野は理解が難しく、それは仕方ないとは思うのですが、せめて高校生レベルの知識については、ちゃんと報道して欲しいなというのが個人的な思いです。

理想的には生涯学習ではないですが、理系だろうと文系だろうとずっと学び続けることが大切だと考えています。

しかし、実際には仕事が忙しかったり、子育てが忙しかったりして、学ぶ時間というのを取るのが難しいでしょう。

であるならば、高校生の段階で最低限の物理・化学の知識を習得した方が、社会全体としての利益が大きくなるのではないか?と思い、理系文系不要論と題して書いてみました。

賛否はあるとは思いますが、個人的にはやはり科学についてもっと知ってほしいなと思います。

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