世界を救うたった1つの方法 小説・設定ネタ

投稿者: | 2021年10月4日

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世界を滅ぼすことができるボタンを渡された人間が、世界の絶望と希望とを体験し、世界を滅ぼすか、それとも救うかを決めるという話。

あらすじ

何事にも負けるのが大嫌いな僕。友人とゲームを遊んでいたら、負けそうになったので、なんとかして負けを回避しようとする。最終的に部屋から立ち去ろうとするが、目の前に初めて見る少女が。
その少女は主人公に対しておもむろに世界を滅ぼして欲しいと懇願する。僕には世界を滅ぼす権限があるという。少女は主人公に1つのボタンを渡す。このボタンを押せば、世界が滅びるという。
少女はこの世界の絶望について語り、主人公に世界を滅ぼすよう促すのだが。。。

第1話:可能性を閉ざすこと、それが世界の滅亡に繋がる

眩しいわけではないのに、僕はダイスを振るときに、眼をつむる。眼をつむるのは、結果を見たくないだけなのか、神に祈っているからなのか、いや家は仏教だから仏か。
ただ、よくはわからないが、僕はダイスを振るときに眼をつむる。
決して、いやな現実から眼を背けたいわけではなく、ただ、眼をつむる癖があるのだ。
人間、1つや2つ、癖があるものだ。
無くて七癖とも言うように。
だから僕は、人の癖には寛容でありたと思っている。皆は僕がダイスを振るときに眼をつむることを、小馬鹿にするが、僕は尊敬の念を払って欲しいぐらいだ。
カラコロロ。
僕が振ったダイスが、テーブルを転がる。そういえば、不思議なことがある。ダイスのことを日本ではサイコロと言う。僕は、小さい頃から欧米に憧れていたから、ダイスがという名称を知った大学生1年生のころから、心してダイスと呼ぶようにしている。
先輩方は、ダイスという呼び名は一般の人は知らないのだから、サイコロと呼んだ方が良いと言っているが、私は聴く耳を持たないことにしている。あらゆる周囲の助言をすべて聞いていたら、日がくれてしまうからである。決して自己中心的、いわゆる自己中ではない。間違ってもA型ではないから安心したまえ。
で、僕のダイスの行方である。
ダイスというものは、いわるゆよくできた四角い立方体である。なんと、それぞれの面に数字が書いており、大概の場合、必ずどこかの面が上に来るため、人生の帰路が6つあった場合に、使用する大層素晴らしい占いの道具であると私は常々のたまっている。
ちなみに、多くの人は、ダイスは6面のものしか知らないだろうが、本当は様々なダイスが世の中に存在している。1番私の中でメジャーなのは、やはり4面ダイスであろう。なんと面が4つしかないのだ。何を当たり前と言うかもしれないが、よくよく考えてみると、驚異的な発想の転換が必要となる。
6面のダイスがの場合、必ず数字が上にくるが、4面のダイスの場合、上にくるのは角である。想像してみると驚愕の事実である。その尖端に数字を書くことは、日本でも数箇所の研究所でしかできないであろう。その上、ダイスを振った時の劣化が激しく、数字の迷い子になる可能性必至である。
では、4面ダイスは、どう使うのか?疑問に思うのが、私のような才能あふるる若者にとって、生きがい的な天啓である。
この問題に対して、私は数秒悩んだ。普通の人ならば、数時間、いや数日かかってもわからないであろう。しかし、私は数秒で答えを得た。これが私が才能あふるる若者であることの証明であり、私自身が世界に愛されている由縁であると、今だにその自信はゆるぎをみせない。
答えは、面の下側に数字を書くことで使用するということだ。私はこの事実を友人から聞いた時、正直、驚きを隠せず、ただ、知っていたよとうつむきながら答えた記憶がある。
4面ダイスに人生の中でであったことは、まさに運命とも言えたが、その使い方まで数秒で知り得たことは、宿命を感じざるを得ない。
「ユラ、早くコマを進めろよ。」
この少しイライラした感じで、私ことユラに命令とも言える言動を吐くのは、私の数多い友人のひとりのサイガである。
「まあ、落ち着きたまえ。僕が振ったダイスがそれほど素晴らしい結果を僕にもたらしてくれたのかな。」
僕は、いつも優雅に答えることを心がけている。どんなに苦境な状況であっても、たとえ、隕石が今、目の前に落ちようとしていようとも、私はゆっくりと立ちあがり、一言、ジエンドとつぶやき、親指を立てるぐらいの余裕と優雅さを心がけている。が、多くの場合、この優雅さを理解してもらえることはない。
人間とはかくも忙しき動物なのである。
ある高名な私は言った。人間はリソースを使いたがる動物である。と。
リソースとは、日本語に約すと資源である。つまり、あらゆるものの源と考えて良い。静かではい。むしろあらゆる火種の元になる、とても恐ろしきもの、それがリソースをである。
人間は、このリソースをジャンジャン使いたがる。石油、核、石炭といったものだけでなく、自分自身の生命エネルギーでさえじゃんじゃん使いたがるのである。
たとえば、貧乏ゆすり。これは、生命活動に全く寄与しない行動である。しかし、ひとは貧乏ゆすりをする。貧乏だからゆするのではない。貧乏ならたかるが正しいからだ。
人は行列を作っているときにも何かしたがる。ただ、並ぶことさえできないのである。そして、それらのもっとも大きな根拠となるリソース、それが時間である。
人は、時間を無駄にすることをとても嫌う。自分自身で選択した、ゆっくりとした時間を享受することは贅沢と言い、選択できないゆっくりとした時間を無駄と呼ぶ。
サイガは今まさに、その時間の無駄を感じているのだろう。私は非常に空気が読める人間である。世の中には、KYという人種がいるそうだが、私からはもっとも縁遠い言葉であり、人種であるとここに宣言しよう。
「だから、早くしろって。どうせ、お前の負けなんだから。」
負け?
いやいや待ってくれ。人生には何が起こるかわからないことだけだ。一陣の風が勝負を分けることすらある。
「俺が動かすぞ。」
待て待て、私は今考えいるのである。いわゆる長考というやつだ。長く考えると書いて長考。長い人生、ゆっくりと考える時間も必要であろう。まったくサイガは、いつもセカセカしていて、見ているこっちがハラハラする。セカセカしていると寿命が短いのではないかと心配である。サイガの家系は、どうも長寿で、みな90歳を超えているらしいが、その中で唯一の例外にならないことを懸念する次第である。
「もう、ほら早くしろって。」
サイガの堪忍袋の緒がそろそれ切れそうである。これも私の戦略であることも知らずに。まさに、今、気分は宮本武蔵である。
「まあ、待ちたまえ、サイガくん。今、私がコマを動かさなかったとして、一体、君の人生にどれほどの影響があろうか。いやない。断じてない。断言できる。しかし、私がコマを動かすことによって生じる人生への影響は、計り知れない。それは、天変動地のごとくだ。コペルニクスですら、リンゴを落とすぞ。」
ふふふ。ついに、言ってやったぞ。私の理路整然とした、ロジカルシンキング炸裂である。爆裂である。
「?なにいってんの?支離滅裂だぞ、お前の。そんなに負けるのが嫌なの?」
ぐぬぬ。言わせておけば。私が負けることなどない。負けることがあったとすれば、それはアカシックファイルの記載ミスである。このミスを報告したら、図書券はいかばかりもら得るのか。きっと億万長者になれるに違いない。
「負ける?いやいや、まだまだ逆転の可能性があるよ、サイガくん。」
私は、スッと立ち上がり、徐に皆に背を向けた。
片腕を上げ、手を振る動作をした後、
「火急の用を思い出した。諸君、勝負はまだ改めて!」
私はダッシュで部屋を飛び出そうとした。そう、私は飛び出そうとしたのだ。
しかし、それは何者かによって阻まれることになる。
その何者かが目の前にいたことによって。
その何者かは、私をじっと見ている。
私も顔を見るが、よく知らない少女だ。顔はかわいい。だが、知らない少女だ。
そもそも、こんな場に相応しくない少女である。
そして、彼女はおもむろに、
「世界を滅ぼしてほしい。あなたにはその権限があるの。だから、世界を滅ぼして欲しい。」
と、喋り始めた。
一瞬、何を言っているのか、僕にはよくわからなかった。そして、一体何が起きているのかも。
第2話へつづく。

プロット

起(第1話〜第2話)

世界を滅ぼすボタンを見知らぬ少女から渡される。実際にそのボタンが、本当に世界を滅ぼすことができるボタンなのか、それともただのフェイクなのか、逡巡しながらも、自分と少女について考えていく。
自分が生きてきた中で、ただぼんやりと友人たちと楽しく過ごしてきたように思う。多少の山や谷があったが、それは偉人たちの偉業に比べればとるにならない、些細な出来事だ。その一方で刺激を求めている自分もいた。そんな刺激が突然やってくる。いや、正確には刺激ではないのかもしれない。責任というプレッシャーだけなのかもしれない。

承(第3話〜第4話)

世界の絶望と希望について知り、揺れる主人公。これまで世界について考えることなどほとんどなかった。世界では飢えている人間もいれば、身を粉にして安い給料で、皆がやりたがらないことを率先していやっている人もいる。
世界のどこかでは、食べる物もなく、治療されることもなく、ただ天空をぼんやりと眺めがら、死神を待っている子ども達がいて、それをビールを飲みながら、エンターテイメントとしてみている自分がいる。自分にとってこの世界とは何なのだろうか?
どれほど偉くなろうとも、どれほどお金を稼ごうとも、どれほど素晴らしい人間だと称えられようとも、なぜか世界から格差を無くすようなアイデアは生まれなくて、生まれたとしても実践されることはない。それはなぜなのか?
もしかして、それは人間としての限界なのだろうか?

見知らぬ少女になんとなく、面影を感じはじめ、記憶が蘇る。そして、主人公が犯した罪を知る。自分が犯した罪を、自分自身で封印していたのか? それとも、本当は妄想なのか、夢なのか。
自分の過去の記憶を辿るが、ところどころ曖昧で、実際に起きた事実なのか確証は持てない。ただ、客観的な事実だけを並べていくと、それは事実なのだろう。
これまで平凡な人生だと思ったいたけれど、実際にはそれを演じていただけなのかもしれない。彼女の絶望に比べれば、僕の人生などちっぽけだ。

世界を滅ぼしてすべてを無かったことにするのか、それとも十字架を背負って生きるのか。主人公は世界を救うのか? それとも世界を破壊するのか?
そもそも、このボタン自体、本物かどうかはわからない。というか、ボタンを押したからといって世界が滅びることなど、普通に考えればない。だから、気軽に押してしまえば済む話だ。
これほど悩む必要はなかったのかもしれない。押してしまえば、すべてが終わる。無かったことになるのだから。

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