
人は、完全にお互いを理解することはできません。
ただ、その気持ちわかる!ってこと、いっぱいありますよね。
それは理解とは言えないのでしょうか?
私たちは、なぜ、わかる!って思うのかなと、ぼんやり考えていたら、もしかしたら、「人は見ている方向を認識したときに、わかった!って思う」のかもしれないなと。
人の場合には、気持ちの方向性、考えの方向性など、相手が見ている方向を認識できたとき。
勉強の場合には、解法の方向性、規則の方向性を認識できたとき。
という感じ。
というのも、知識を詰め込んで記憶しても、わかった!って思うことはないじゃないですか。
だから、わかった!というのは、知識や情報ではないのかなと思います。
また、わかったつもりだったのに、全然違うことってありますよね。
それは、向いている方向が違ったという話。
で、なぜ方向が大事なのかと言えば、人間は常に未来予測しているからではないかなと。
これは、あくまで個人的な推測ですが、感情とは「未来予測と現在の差分で発露するもの」ではないかと思っています。
未来とは、言ってしまえば、その人が見ている方向性と言えるのかなと。
そして、その方向性がわかれば、どんな未来かが想像でき、現状との差分が生まれ、相手の感情が理解できるみたいな感じ。
だから、理解するとは、方向性を認識したってことなのかなと。
正確には、方向性を認識し、現状との差分が認識できたときに、わかった!と思うのかもしれません。
勉強などについても、そうかなと。
法則を理解したときは、適用範囲が広がることを認識、つまり、未来においていろいろと使えることが想像できたとき、わかった!と思うのかも。
そう考えると、「理解=方向性+想像」なのかもしれません。
脳科学的には、シナプスが繋がったという表現がされたりすることがあります。
シナプスが繋がるというのは、言ってしまえば、始点と終点が繋がるということなのかなと。
で、始点と終点を繋げるには、そもそも終点の位置を認識していないといけません。
つまり、方向性です。
そして、シナプスが繋がるというのことは、新しい何かが想像できた、考えることができたということなのではないかなと。
まあ、あくまで個人的な推測ですが。
