
愛とは何か? 愛は計測できるか?〜時間ベースで愛を考えるで書いたように、自分は愛というのは、投入する時間によって計測できると考えています。
ただ、最近、単純に時間を投入すれば、それで良いのか?という疑問というか、投入する時間の内容も影響しているのではないかなと。
なぜ、そんなことを思ったのかというと、自分は人を好きになったら、その人のために自分の時間を使い、様々なことをしてあげたいと思っています。
そして、相手からも自分に時間を投入して欲しいとも思います。
じゃあ、一緒にいる時間があれば良いのか?というと、そういうわけではありません。
自分の場合は、相手と対話をしているときに、強く相手に惹かれるのです。
対話をしていて、強い何かを感じるというか。
その本質的な部分が何なのかは、まだ解明できていません。
しかし、少なくとも、相手と対話をしているときに、対話ができているときに、強く惹かれることは認識しています。
逆に言えば、対話ができない状態だと、相手に対する興味が薄れてしまう感じです。
会話ではなく、対話であることが重要だというのも、最近気づきました。
一緒にいて楽しい人というのは、結構います。
ただ、あと一歩を踏み出そうと決意するとき、やはりそこには相手と対話できていることがあるなあと。
別に、高尚なテーマで話す必要はなくて、ただ、その人の考えに触れているとき、深い話をしているときに何かを感じているようにも思います。
で、本題的なところなのですが、自分は相手に何かをすることが、好意や愛を示す方法だと思っていたわけです。
しかし、こうして自分のことを分析してみると、別に相手から何かして欲しいというのは、ほとんど無いことに気づきました。
例えば、プレゼントは貰えれば嬉しくはあります。
ただ、自分の中で、プレゼントされたから、強烈に惹きつけられるということは無いなと。
何かして欲しいということも無くて、また、肯定して欲しいというのも、あんまり無いですよね。
むしろ、自分の考えに引っ張られすぎる人は、自分の中では、微妙に思ってしまうというか。
考えが異なっていても良くて、その上で、対等な関係で対話できていることが重要というか。
つまり、人によって、何に惹かれるのかに、違いがあるんじゃないかという話。
プレゼントの話を書きましたが、人によっては、プレゼントで愛を感じる人もいると思います。
それは、高価だから良いということではなくて、毎週、何かしらちょっとしたプレゼントを貰えることで、愛を感じるということです。
プレゼントを買うにしても、相手のことを考えて買うわけですから、そこに時間の投入があります。
だから、考えられたプレゼントの方が、喜ばれるだろうなと。
ブランドのバッグが流行っているから、何も考えずにそれをプレゼントするというのは、投入時間が少ないので、お金に対する感謝はあっても、愛を感じにくいようにも思います。
まあ、それも人それぞれかもしれません。
かけられたお金の投入量を愛の量だと考える人もいると思うからです。
で、また、話が逸れましたが、何が言いたいかというと、何をもって愛と感じるかは、人それぞれということ。
それが何を意味するかというと、自分はこんなにも愛を表現しているのに、なぜ、愛が伝わらないのか?という謎が解けるんじゃないかなと。
前述の例で言えば、対話することで愛を感じる人もいれば、プレゼントで愛を感じる人もいるということです。
で、対話することで愛を感じる人に、プレゼントをたくさんしても、愛を感じてもらいにくいということ。
端的に言えば、感謝の気持ちを伝えるのに、カレーが好きな人に対して、いくら寿司をプレゼントしても、思いが伝わらない的な。
カレーが好きなら、カレーをプレゼントするのが良いですよね。
別に寿司が悪いわけではありません。
ただ、相手はカレーが好きなので、カレーをプレゼントしてもらった方が嬉しいという話。
で、そんな当たり前のことに、最近気付いたというか、これまで自分の思いが伝わっていないなあと感じたのは、そういう価値観の不一致が原因だったんじゃないかなって。
そんなことを思いました。
これって、たぶん、好きになるポイントにも影響してくるだろうなと。
そのためには、やはり対話が必要な気もしています。
ちゃんとお互いにして欲しいことを話せる関係性というか。
まあ、それは今後の課題ということで。