
賞レースに参加することになったので、物語における悲しさについて、少し考えてみようかなと。
悲しいとは?
そもそも悲しいとは何か?
個人的にですが、感情とは「未来予測と現在の差分で発露するもの」ではないか と思っています。
ですので、悲しいというのは、未来予測において、本来はあるべき状態に対して、ネガティブ、マイナスな出来事が起き発生するものという考えです。
例えば、人が亡くなったときに悲しいのは、未来予測において、その人は存命と予測していたため、亡くなるというマイナスな出来事によって差分ができ、悲しいという感情が発露したと考えられます。
同じネガティブ、マイナスな出来事に関する感情としては、不安があります。
不安は、未来予測が定まっていない状態、どうなるかわからない状態で発生するものかなと。
上振れ予測もありますし、下振れ予測もあるため、それが上下し、安定していない状態で、まさに不安定というわけです。
物語における悲しさ
さて、物語における悲しいの話。
この悲しいという感情は、物語において重要な要素です。
悲しみをバネにして、悲しみがあったからこそ、または悲しみが発生することで、人々は感情移入し、感動したり、共感したりします。
ただ、想像できないものだと、感情移入しにくいのかなと。
例えば、全人類が滅亡しかける状態というのは、人々がたくさん亡くなっているわけですから、上記の感情理論に従えば、悲しみは大きいはずです。
しかし、人類滅亡は現在の状況から考えると想像できないために、悲しみという感情に結びつかないのかなとも思います。
また、感情の主体は、自分自身であるため、自分がある程度関わっていないと、悲しみが発生しないとも言えます。
言ってしまえば他人事というわけです。
そうなってしまうと、感情移入ができません。
ですので、想像しやすい、または、読者と関係がありそうな悲しみでないと、感情移入や共感ができないと言えます。
言葉としては、他人事ではなく、自分事として考えてもらう感じかなと。
例えば、進撃の巨人や鬼滅の刃などでは、家族が冒頭で亡くなっています。
多くの人には家族がいるため、想像がしやすく、感情移入しやすいわけです。
背景が理解できないと、感情移入できない
進撃の巨人にしても、鬼滅の刃にしても、温かい家庭のシーンが最初に挿入されています。
もし、そのシーンが無かったら、きっと感情移入できないだろうなと。
つまり、温かい家庭という情報を理解し、想像したことで、その先の未来予測がされ、それが家族が亡くなるという展開によって、マイナスが発生し、悲しいという感情が生まれると言えそうです。
また、どちらも復讐という感情を理解してもらうためのシーンでもあるのかなと。
復讐については、また改めて考えてみようと思います。
また、手法として、後から温かい家庭のシーンを入れるというのもありますが、そこまで読者が読んでくれるかはわかりません。
わかりやすさという観点では、やはり冒頭に家庭のシーンがあったほうが良いのだろうと思います。
何が言いたいかというと、悲しみを物語に導入する際には、まず、平常の状態、または幸福の状態があり、それが長く続くように読者に理解、想像してもらうことが必要ということです。
そのシーンがあるからこそ、家族が亡くなったときに悲しみという感情が想像でき、共感でき、感情移入できるという話。
悲しみの度合い
感情とは「未来予測と現在の差分で発露するもの」ではないかという説がある程度当たっているとするならば、悲しみの度合いは、差分の度合いに関係していると言えます。
つまり、明るい未来予測であればあるほど、現在のマイナスが発生したときに、悲しみが大きくなるというわけです。
または、マイナスが大きくても、同じように、悲しみの度合いが大きくなると言えます。
つまり、ただ人が亡くなっただけでは、悲しみは発生しないのです。
まとめ
まとめると、読者に悲しさの感情移入をしてもらうためには、
登場人物の背景を理解した上で、
平常、または幸福な未来予測を想像できる状態にし、
現在においてマイナスな出来事が発生したときに登場人物の悲しさに共感でき、
未来予測と現在のマイナスな出来事の差分が大きいほど、大きな悲しみになる
という感じかなと。