
テーマ
「身内とは何か」
メモ
確か6/24にやった自分たちで開催した哲学対話の個人的なメモ。
ガンダムとATフィールドと
身内とそうでない人の間には線というか、壁というか、敷居がある。
それはガンダムなどのコクピット的な感じで、何かに守られている的なものかもしれない。
つまり、自分を守るための敷居。
その敷居の中が安全というか。
それは、エヴァのATフィールドなどもそうなのかもなとか。
外との隔絶、線引きをしたがるのは、縄張り争い?的な本能なのかもしれない。
脳梁
一般的に男女では脳梁の太さに違いがあり、それが男女の考え方の違いにもなっていると言われている。
ただ、脳梁の太さは男性でも太い人もいるし、女性でも細い人がいるで、あくまでざっくりとした区分け。
そもそも脳という観点で、男女を綺麗に分けることはできないだろう。
人間の考え、思想、感情、本能、認知などなど、その人の世界感、世界の見え方などを作っているのが脳であるとするならば、脳で明確に男女の違いを規定できなければ、それらの観点において男女に違いがあるとはいえないのだろうなと。
ある程度の傾向はあったとしても、例外が存在するという話。
線引き
自我を溶かしていきたい。
自我を溶かしていくことで、他者との線引きがなくなるのか?
身内とは責任を取れるかどうか?
家族の問題で、個人が責任を取り切れないとき、身内が責任を取ることがある。
家族が謝ることもある。
本来であれば、大人の場合、個々人の活動でしかなく、家族が責任を取る必要もないし、謝る必要もない。
しかし、なぜか今の社会では、家族が責任を取ったり謝ったりしないといけない。
それは身内だからか。
感情の関係
明確に身内というものが定義できない時もある。
例えば、友人に対しても身内という言葉を使う。
集まったメンツによって、身内になる人が変わる場合もある。
身内と感じるかどうかは、感情が鍵かもしれない。
つまり、感情が動くかどうかで、身内との線引きをしているのかも。
自己投影?
自身をダブらせる?
共感、共鳴?
相手と感情の振動、共振が起きているときに身内感、または大切な存在と感じるのかもしれない。
波長が合う?
何か、パラメータが近いから共振?
何に共振してる?
抽象化
身内とは抽象化できていない存在のこと?
他人というのは、どこまでも他人であって、それはぼんやりとしたイメージ。抽象化されたイメージということ。
その抽象化の中から、手を繋ぐことで身内になる?
自分の内側に引き入れるようなイメージ。
そうなると抽象化された他人から、形がはっきりして身内になっていく。
分かるとは分ける
人は分類することで、それを理解しようとする。
つまり、線を引きたがるのは、わかりたいからという考え方。
ただ、人によって理解したいものが違う可能性はある。
目的が違うという可能性もある?
また、味方、身内になってほしいというのが目的なのかもしれない。
抽象化しているものをはっきり具体化していくことは理解とも言える。
逆に、自分を理解してほしいというのもあるかもしれない。
守る存在としての身内
親からすれば子ども。
守る存在。
ただ、友人などの場合は対等であるべきで、守る存在とするなら、自分が上にならないか?
納得したい
身内とすることで、自分が納得したい?
つまり他人事と、身内とで分けることで、感情の整理をする。
感情(共感など)はエネルギー。
感情が動くことのメリット、デメリットがある。
納得することは感情のメリットか?
納得することで気持ちよくなる?
共感は自分を納得させるため?
愛があるかどうかが身内か?
合理性と感情
身内にすることで、身内がいることで、線を引くことで、安心安全を確保したい。
マイナスにならないような動きは合理的な判断とも言える。
社会的立場のある人についていくこと、ある程度、安心感があるというイメージがある。
共感ではなく同調のときもある。
身内を増やしていくことは、群れを作ること。
群を作って、結局群をどうしたいのか?
身内を作るのは、今が安全だと思っていないから。
仮想敵がいる可能性。
抽象度が高かったものが解像度が上がっている、それが個の時代。
身内が足を引っ張ることもある?
つまり、身内を作ることはメリットだけではない。デメリットもある。
物理的な線引き
部屋、家、団地、会社みたいな物理的な線引きで、身内感がでることがある。
礼は、異物排除システム。言葉もそう。
それによって異物が侵入した時に気づく。
身内かそうでないか、群れの仲間かどうかを判断。
現代では、場所が動いた、レイヤーが増えた、身内が変わった。
昔と同じ考えを適用できない。
そもそも身内とは?
身内と認識するには、時間、距離、情報量、感情が関係?
恐怖心、戦争が身内を作った。不安(仮想敵?)があることで身内が必要になる。
昔は生存が大変だったから、身内を作るのが生き残る手段。
しかし、現代の日本においては、セーフティネットがあり生き残り易くなったことで、身内という概念が壊れつつある。
個々のサバイブ力があるから、助けられる、助けようとする動き。
サバイブ力が上がったから、身内の必要性が減ったのでは?
そう考えると、不便さが身内を生んだとも言えるかも知れない。
名前の無い状態で、選別しないことが愛
名前があると、人格としてのデータが溜まってしまう。
名前の無い人間として付き合う方が、それらのしがらみが減るという話。
名前の無い状態で、選別しないことが愛なのでは?
身内の感覚は、匿名でも得られるのか。
見知らぬ人に親切にされると嬉しい。
滅私。
ただ、人が個を失えば、それは人と言えるのだろうか。
システムの一部であることを受け入れてしまったら、人とは何なのだろうか?
経済人という言葉がある。
合理的な人間で、利己的な存在だ。
しかし、人間は合理的ではない動きをすることが多々ある。
それは、認識違い、勘違いの場合もあるが、感情によって合理性が破られることもある。
そして、それによって救われることもある。
そう考えると、自身の存在がなくなることで、デメリットもある。
世の中には、苦、辛など、嫌なことがたくさんある。
そこから逃れる方法として、滅私というのは理解はできる。
ただ、苦しいこと、辛いことも含めて、人なのではないか? 人生なのではないか? 生なのではないか? というのが個人的な今の考え。