個人的にぼんやり思っていることのメモです。
共助コミュニティとは
最近、個人的に考えているのは、共助コミュニティ(Mutual aid community)というものです。
共助コミュニティとは、読んで字のごとく、共に助け合うためのコミュニティ(集団)という意味。
近年では、共助という言葉が、自助や公助などと一緒に語られることが増えてきました。
共助とは地域やコミュニティなど周囲の人々と助け合うことです。
ただ、共助が語られる文脈においては、地域社会がほとんど。
つまり、もっとも小さくても複数の町以上という感じです。
ここで個人的に考えている共助コミュニティは、それよりももっと小さいものを想定しています。
町内会よりも小さく、家族よりも大きいコミュニティという感じ。
人数としては多くても10人程度というイメージです。
共助コミュニティが必要な理由
日本においては、核家族化が進んだことで、一世帯あたりの人数が減っています。
人数が減れば、その分、共に助け合うことが難しくなるのは明白です。
また、都会においては隣人とのトラブルが絶えません。
そのため、昔ほど、隣人との付き合いが無くなっているのが現状です。
つまり、何が言いたいかというと、昔の家族のようなコミュニティが、今の時代はぽっかり空いてしまっていて、そこを埋める何かが必要なのではないか?という話です。
距離の分断の影響は大きい
離れていても家族は家族。それは理解できます。
しかし、いざ、遠方に住んでいる家族に助けが必要になった時、すぐに助けに行くのは難しいでしょう。
それが現実です。
また、個人的にですが、時間基軸理論というのを提唱しています。
時間基軸理論は、単純にすべての価値を時間に変換することで価値を比較しようというもの。
で、人間は時間がかかるものほど、軽視しがちではないか?というのが個人的な仮説です。
距離というのも時間に変換できますので、遠方ほど時間がかかる、つまり軽視しがちになるということ。
「遠くの家族より近くの他人」という言葉がありますが、まさにそれを言い表しているのかなと。
隣人はガチャ
ただ、一方で隣人のトラブルが起きているのも事実です。
隣人を選ぶことはできません。親ガチャならぬ、隣人ガチャですね。
また、隣人と仲良くしなければいけないというのも、ストレスになるでしょうし、良いアプローチではないのかなと。
加えて、今の日本は二極化により経済的に困窮している人が増えていることや、不法滞在の外国人なども増えており、犯罪に繋がるケースも多々あります。
つまり、隣人や地域の人を信用しづらい世の中になってきたということです。
共助コミュニティの構築
ではどうするのか?と言うと、現状では
- 信用できる人たちと近くに住む
- 近くで信用できる人を探す
なのかなというのが個人的な考えです。
一番手っ取り早いのは、やはり信用できる人たちと近くに住むのがベストかなと。
距離の近さというのはとても重要なためです。
一緒に住むのが一番良い気はしていますが、そこまでプライベートを共有できるかは、人に寄るのかなと。
次に考えられるのは、近くで信用できる人を探すです。
地域では様々なイベントが行われているので、それに参加することによって信頼関係を構築するという方法。
時間はかかりますが、地域のイベントは住んでいる距離が近い人が多いので、信頼関係が作れれば、相互扶助の関係を構築できるのではないかと思います。
個人的な感覚としては、友達以上家族未満的な。
多くの国民は増税貧困になる
今後、益々二極化が進み、貧困層が増えていくことは、日本の政策上、受け入れるしかありません。
103万の壁も結局、123万には上がったものの、他で増税することになるので、微妙な感じになってしまいました。
壁の引き上げで税収が下がると、減った分の税収を後の人に負担してもらうことになるから、増税が必要だと考えているそうですが、後の人の負担を避けるなら、社会保障はもっと小さくすべきでしょう。
つまり、高齢者が自分たちで支払うということです。
今、まさに高齢者の人たちが、若い世代、つまり後の人に大きな負担を負わせている状態なので。
また、減税して国民が豊かになると、相対的に権力が弱くなるので、国民に力を与えたくないというのが本音かなとも思います。
だから今後も増税の方針は変わらないでしょう。
結果、多くの国民は増税貧困に陥ります。
その時、重要になるのが、やはり人との繋がりなんじゃないかなと。
で、その繋がりは、単純な知人では意味がなく、相互扶助できるレベルが望ましいです。
なので、共助コミュニティの必要性が今後求められていくのかなと思っています。