幸福とは何か? – アラン 幸福論の名言から考える

投稿者: | 2023年8月10日

アラン 幸福論 (岩波文庫)を読んで幸福について感じたことを、つらつらと書いていきます。

人は、棚からぼたのように落ちてきた幸福はあまり好まない。

人は、棚からぼたのように落ちてきた幸福はあまり好まない。
自分でつくった幸福が欲しいのだ。

これは、誰しもが感じることかなあと思いました。

個人的な感覚としては、棚からぼたもちのように落ちてきたものは、幸福ではなくて快感に近いんじゃないかなと。

個人的な幸福と快感の定義は、幸福とは心地よい状態がずっと続くことで、快感とは高いレベルの心地よい状態が短期間に発生することだと思っています。

なので、棚からぼたもちは快感に入るという認識です。

他にも、

幸福はいつもわれわれの手から逃げて行くといわれている。
人からもらう幸福については、それは正しい。
人からもらう幸福などは、まったく存在しないからだ。

という言葉も近い内容ではあるかなと思います。

人間が幸福であるといえるのは、何かを欲する時と、つくり出す時だけである。

人間が幸福であるといえるのは、
何かを欲する時と、
つくり出す時だけである。

個人的に最近すごく実感していることです。自分の場合には文章かなと思って、毎日何かしら文章を書くようにしています。

ブログだったり、小説だったり、いろいろではあるのですが、少なくとも自分の言葉で自分の考えをいろいろと書くのが重要かなと。

もちろん、お金が降ってきたら嬉しいです。ただ、そのお金も、少しでも長く文章を書くための資金として使うだろうなとは思っています。

幸福とは何か?

高級な料理を食べて、世界を旅して、高級な物を買って満足できる人もいますし、お金が全然無くても人生を楽しんでいる人はいます。

結局、何を幸福に感じるかは、人それぞれなのだろうなと。

ただ、個人的に感じているのは、やはり小さい頃の思いや考えというか、小さい頃にやりたいと思ったことや願望が幸福にすごく関係しているんじゃないかな?という点。

例えば、戦後に生まれた世代は食べ物が無くて、小さい頃は多くの人が腹いっぱい食べたいという想いが強かったのかなあと。だから豊かな暮らしをすることが幸福であって、「お金=幸福を生み出すもの」という印象があります。

時代が進むにつれて、日本は豊かになり、食で困ることは無くなってきました。そのため、何に幸福を感じるのかが、変わってきているのかなと。

仕事をしてお金を稼いで飯を食べるだけでは、たぶん、幸福感を得られない人たちが増えている気がしていて、たぶん、それが小さい頃のやりたかったことや願望とズレているからなんじゃないかなというのが、個人的な感覚です。

自分もずっと何をするべきなのか?というか、何をしたいのか?がわからず、おっさんになってしまいましたが、今はおぼろげながらそれが少しずつ形になってきていて、無職だけど、結構楽しく暮らしています。

金は多少の貯金を切り崩していますが、そのうち底をつきてしまうので、将来に対する不安というのはあります。ただ、それでも今やりたいことができていて、仕事をしていた時のような閉塞感はあまり感じていません。

仕事をしているときは、他人や社会の価値観に縛られていたというか、その影響を多分に受けていて、他人や社会の価値観の中で生きていたように感じています。

それが今は自分の価値観の中で生きていると実感できていて、それがもしかすると幸福のポイントなのかもしれないなと。

アランの言葉も、遠回しにそのことを指摘しているようにも感じます。

皆さんはどうですか?

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