心が女性の定義と証明の難しさ~そもそも性自認って必要?

投稿者: | 2024年1月7日

あくまで個人的な考えをつらつらと書いたものです。時とともに考えは変わっていくので、書いている時点で思っていたことのメモ的なもの。 

心が女性の定義と証明の難しさ

性自認で自分が女性であるとか、男性であるとか、その他であるとかの定義って、あるのかなというのが最初の疑問。

具体的には、特定の質問に回答し、嘘発見器などで真偽を確かめ、条件を満たしたら、心が女性である、または男性であると認定するというなら、ある程度定義ができそうな気がしました。

そもそも心が女性である定義って、無い気がするのですが、どうなんでしょうね?

最近では、女性らしさとか、男性らしさみたいなものを押し付けるなという論調もあります。

であるなら、心が女性である、または男性であるというのも押し付けのような気もするかなと。

また、前述したように嘘発見器のようなもので、真偽を確かめない限り、その人の心が女性であるとか、男性であるとかって証明しようがない気もします。

多くの人が見ているところだけ、あたかも自分が女性であるように、または男性であるように振る舞うことが可能ですから。

性自認は変わる可能性がある

たまに取り上げられますが、女性だと思ってたけどやっぱり男性だったとか、その逆のパターンもありますよね。

これはあって然るべきだと思っていて、歳とか、環境とか、社会の動きなんかでも変わるような気がしています。

つまり、性自認は変わるということです。

なので、余計に定義や証明が難しいというのもあるかなと思います。

また、性自認を定期的に申告するような社会もなんか面倒くさいなと個人的には感じました。

性自認問題の本質

これは個人的に思っていることなのですが、性自認問題の本質って、性自認がどうこうではなくて、他人からどう見られたいのか?という点じゃないかなと。

つまり、性自認を他者に受け入れさせることが軋轢を生んでいるのではないか?という話です。

性自認が女性だから女性として扱って欲しいという中に、他者への考え方の強制が入っているということです。

性自認だとわかりにくいですが、例えば、自分は人食いサメだと自認している人がいて、私は人食いサメだから人を食べることは問題無いという人がいたとして、それを皆が受け入れられるか?という話。

別に本人がそう自認することはまったく問題ないですよね。でも、それを他者が受け入れるかどうかは別です。

ましてや社会として受け入れることはできないでしょう。

けれど、本人がそう自認すること自体は問題ありません。そう自認して犯罪をしてしまえば、それは社会の法律として裁かれるだけです。

ところが、性自認については、他者や社会が受け入れるべきだとしています。そこが問題なのかなと。

個人の考え方を社会システムの規範に取り入れるべきかという話でもあるようにも思います。

そもそも性自認って必要?

なんだか、LGBTQの方を批判するような流れに感じるかもしれませんが、個人的にはLGBTQについては抵抗が無いというか、自認については自由だと思っているので、まったくもってそのことは問題ないと思っています。

ただ、自分の考えは「そもそも性自認って必要なのか?」というスタンスです。

なので、認める認めないではなくて、性自認自体、喧伝するようなものではないのではないか?という話。

相手の性別で人を好きになる?

例えば、貴方がある人物を好きになったとします。その人柄や性格、振る舞いなどに惹かれて好きになったのです。

で、好きになった人が男性だったからとか、女性だったからという理由で、その人を嫌いになることってあるんでしょうか?

皆さんは、相手が女性だから、もしくは男性だから好きになったんですか?

もちろん、性的な魅力で人を好きになることも往々にしてあるので、男性らしい、女性らしいということがきっかけで好きなることもあるでしょう。

では、その時に実は性別が違うと告白されたとして、諦めますか?

同性だから嫌いなんてこと、そもそも考えます?

そのあがりが、個人的には一番よくわからんですよね。

ぶっちゃけ好きになった人が、女性だろうと男性だろうと、僕はその好きという気持ちを大切にした方が良いんじゃないかなって思っています。

何が言いたいかというと、相手の性自認でその人を好きになることはないって話。

性的指向から相手に断られることがあったとしても、別にそれはその人の考えであって、自分自身の気持ちを変える必要性って無いんじゃないかなあとも思います。まあ、ストーカーとかはダメですけどね。

性的指向も変わる

性的指向も別にわざわざ宣言する必要性も無いのかなって、個人的には思っています。

例えば、誰かに告白されたとして性的指向が理由で断るっての違うかなと。

相手のことが好きじゃないから断るわけで、好きだけど同性だから断るって、思考として正しいようには個人的に思えないという話。

それにその時々で性的指向が変わることもあると思うんですよね。というか、そういう人がいるし。

そう考えると性的指向を宣言する必要も無いかなって思っています。

男女同権というか、人間としての権利は一緒

そもそも男性だからとか、女性だからという理由で、有利不利をつけるのっておかしいじゃないですか。

だから、女性になったからと言って権利が増えるわけじゃないですよね。

女性じゃないとなれない職業って、それほど多くないというか、そもそも論として女性じゃないとダメというのはターゲットが男性の場合がほとんどかなと。

で、そういう職業って、男性が好む人じゃないとダメなわけで、見た目おっさんで性自認が女性の人がなれる職業じゃありませんし、その職業についたとしても結果は出ないでしょう。

つまり、性別をターゲットにしてない職業であれば男女で区分けする必要はないわけです。

そう考えると、やはり性自認って必要性を感じません。

女性用トイレや女風呂の問題

最後が女性トイレや女風呂の問題。争点の多くがこれだと思うんですよね。

で、ここまで考えてくると、もっとも理想的な社会というのは、男女の区分けを無くした社会と言えます。

つまり、女性トイレとか、女風呂とか、性別で分けること自体がナンセンスという話です。

しかし、これは現実的ではないでしょう。

すべての人間が理性的であり、本能を出さずに生きることができないからです。

なので、論外。

ということは、現実的な落とし所を考える必要があります。

個人的にはここまで書いてきたように、性自認というのは意味が無いと思っています。不要だと。

そう考えると、女性トイレや女風呂は、性自認ではなく、遺伝子で決めるのが、一番わかりやすいと言えます。

つまり、基本は従来通りということです。

しかし、他者から女性として認識されている人については、女性トイレや女風呂に入って良いと思っています。

この他者とは言ってしまえば、遺伝子でXYと判定された人たちです。その人たちが女性と認識した人であれば、OKという話。

個人的にはその点についてもっと議論を深めた方が良いのではないかなと思っています。

法律云々とか、個人の自認云々ではなくて、「他者からの認識を基準にする」ということです。

なぜなら、自認を他者に押し付けるということは、資格の無い人が弁護士を自認するのと一緒だから。

個人的にはそこが一番重要なのではないかなと思っています。

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