鬱で立てなくなった話で書きましたが、いろいろとあって会社を辞め未だ無職のネルソラです。こんにちは。
今回は個人的に受けたカウンセリングを受けた話を書いていきます。カウンセラーによって対処法とかは違うと思うので、あくまで私個人の場合の例です。
そもそも心療内科の先生にカウンセリングを勧められたのは、一向に自分の精神状態が変わらなかったため。
で、めったにないチャンスだし、体験してみるかぐらいの軽い気持ちでカウンセリングを受けました。
カウンセリングに意味はないと思っていた
正直言うと、カウンセリングを受ける前はカウンセリングに対する効果を信じていませんでした。
そもそも論として、精神的な話というのは自分自身が一番良くわかっており、自分でコントロールすべきという考えがあったため。
話をしたぐらいで何が変わるのかという考えがありました。
最初は効果を実感できなかった
合計で10回ぐらいカウンセリングに行った気がしますが、最初の数回はまあこんなものかという感じで、当初の自分の考えが合っていたなという印象。
また、もっと手法みたいなものがあるのかなと思っていたのですが、その手の話は少しだけで、基本はただ話を聞くというスタイルでした。
値段が6500円で高いなあという印象が強かったです。
5回目くらいから気持ちが変わった
が、5回目くらいから、少し自分自身に変化があることを認識します。
感覚的には心の硬さが取れていく感じ。
カウンセリングに対する先入観みたいなものも含めて、いろいろと抱えていたことに対して、受け入れることができた感じと心が解放された感じの両方を感じていました。
まあ、こういうのって実際に体験しないとわからないと思いますし、感覚的な話なので表現しにくいのですが、個人的にそのように心が変化した理由について簡単に書いてみようと思います。
個人的に感じたカウンセリングの意味と効果
個人的に感じたカウンセリングの意味と効果は、
- 心理的安全性
- 自己肯定感の高まり
なのかなという印象です。
心理的安全性
詳細は省きますが、自分は会社に勤めていたときに、社長や上司の指示で不正をしたことがあります。また、社長や上司の不正もいろいろと知っていました。
小さい企業だけでなく大きな企業でも社内で正しくないことがまかり通っており、かなりモヤモヤした気持ちをずっと抱えていました。
もちろん告発するという手もあるでしょう。ただ、自分の場合、最初に入った会社で社長にそのことを指摘し干されたことがあるので(笑)、会社を変えるには自分が力を持つしか無い、力を持つまでは我慢するしかないと思いこんでいました。
で、こういう会社の内部事情って誰にも話せないんですよね。家族であっても。また同僚に話したところで、前述の干された話のように自分の立場が危うくなります。
そんなわけで吐き出す場所がずっと無かったわけです。
カウンセラーは守秘義務がありますので、そのあたりを全部ぶちまけました。それでかなり心のつかえが取れた印象です。
つまり、心理的安全性が確保された何でも話せる場を持てたことがカウンセリングの意味なのかなと思います。
自己肯定感の高まり
カウンセリングでは自分の話をひたすら聞いてくれます。ぶっちゃけどんな話でも良いと言われたので、好きなゲームの話とか、マンガの話とか、最近みた映画とかドラマとかについて適当に話していました。
ただ、話をしていくうちに、ある程度深い話もするようになり、前述した不正の話もすることになっていきます。
で、それらの話についてカウンセラーの方は基本的に否定をしないんですよね。
単純に話を聞いてくれるだけですが、否定をせずに話を聞いてくれることが自己肯定感の高まりに繋がったのかなと感じています。
あくまで心理的安全性が確保されているという前提が必要ですが。
極論を言えば愚痴を聞いてくれる人なのかもしれません。ただ、愚痴であっても言えないことって結構ありますよね。また、友人へ常に愚痴っていれば人間関係が悪くなります。
そういう意味でも、全部ぶち撒けられて否定せずに聞いてくれるカウンセラーの意味は大きいなと考えを改めました。
お金についても高いように思いますが、飲みに行ったと思えばそこまで高くないかなと。健康にも良いですし、人間関係に影響も無いですし。
そんなわけで個人的にはもっとカウンセリングが当たり前に受けられるような社会が良いのかもなと最近は思っています。