墨子 ビギナーズ・クラシックス 中国の古典 – 非攻という考え方は現代にこそ必要ではないか

投稿者: | 2023年10月28日

評価・レビュー

☆5/5

墨子(墨翟:ぼくてき)の言葉をとてもわかりやすくまとめた書籍。非常に読みやすくスラスラと読めるのが特徴です。

網羅的というよりは全体感を掴むのにとても良いと思いました。

ビギナーズ・クラシックスとう名前に偽りなし。

まず墨子について齧ってみたいなら、おすすめです。

墨家は一時期儒家と二大勢力を争うほど隆盛でしたが、その後、勢力は縮小し、ほぼ消滅してしまいます。

そのため墨子に関する資料は少なく、一部が見つかっていないことから、全貌はまだわかっていません。

それでも、非攻や兼愛といった軸となる概念部分の資料は残っているので、墨子を知ることができます。

非攻こそ現代に必要

非攻とは、自ら攻めないということです。実際には義に反することをしている場合には、攻めるのを良しとしていますが、基本的に自分たちから攻めるのは良くないという考え方。

また、墨子は弱小国が攻められた時に、その国へ行って一緒に防衛戦をしたという話があり、戦略家としても優れていたと言われています。

つまり、攻めはしないけれど防衛はするということです。

このあたりは日本の今のスタンスにとても近いところはあるのかなと。

そもそも戦争というのは、国力を非常に損なう行為であり、孫子も戦争は下策で、戦わずに従わせるのが最上としています。

昔の戦争というか、経済的な意味での侵略戦争は、戦争というよりも戦力差がありすぎたので、植民地化することに意味はあったように思います。

しかし、それ以外の戦争においては、多くの場合、失ったものが大きすぎたのではないかなと。

戦争によってテクノロジーが進歩するという話もありますが、別に戦う必要性は無く、防衛戦力増強のために開発をするというスタンスでも問題無いのでは?と思います。

つまり何が言いたいかというと、戦争良くないって話です。

引用メモ

最後に個人的なメモも兼ねた引用。

墨子の言葉

他人に損害を加えることがいよいよ多ければ、その不仁はますます甚だしく、罪はますます重い。これらのことは、天下の君子が皆知っていて之を非となし、これを不義とする。いま大いに不義をなして国を攻めるに至っては、非となすことを知らず、そのうえこれを誉め、これを義とする。これでは義と不義との別を知っているといえようか。

いま天下の士君子で、まことに天下の富有を願ってその貧困を憎み、天下の治平を願ってその衰乱を憎むならば、有命を説く者の言説は、非難すべきである。これは天下の大害である

聖人が一国の政治をなすと、一国〔の利益〕は倍にすることができる。これをさらに広げて天下の政治をなすと、天下〔の利益〕は倍にすることができる。

その倍にすることができるのは、外に領地を取るのではない。その国家について、その無用の出費を省くことにより、利益を倍にすることができるのである。聖王が政治をなし、その政令を発して事業を興し、人民に便宜をはかって財物を使用するのに、その利益を増さない事柄は実施しない。そこで財物の使用に浪費はなく、民徳は疲弊せず、その利益を興すことが多大である。

もし私が言うところの忠臣であれば、上司に過失があるときにはそれとなく諫め、自分の手柄を上司のものとし、それを声高に叫ばない。主君の悪を正して善に向かわせ、人々を君主に同調させ、下におもねることがない。これにより、美や善は上に集まり、怨みは部下に向かい、安楽は上にあって憂いは部下に集まる。これが私の言う忠臣です」

解説の言葉

「兼愛」は、自分への愛と他人への愛との間に区別を設けてはならないとするもので、いわゆる博愛や平等愛とは異なります。

墨子は、「天下の利益」は平等から生まれ、「天下の損害」は差別から起こるという前提に立ち、「兼愛」は結果的に互いの福利を増進することになると説きます。そのことを「交利」と言い、互いに互いの利益を考え、実践することから道徳が成り立つという「兼愛交利」を説きました。

人間には生まれながらに運命があり、どんなに努力をしてもあらかじめ定まった人生を変えることはできない、この考えは有命論、宿命論と呼ばれるものです。『墨子』の非命篇では、この「有命」(宿命)を否定しています。

厚葬久喪は国家の貧困、人口の減少、治安の悪化を招き、人民を富裕にするものではないと墨子は説きます。

「今、墨子を題材にしたゲームが大人気ですよ」と。ゲームの名前は、「軒轅剣」。台湾のゲーム会社(大宇資訊、日本名ソフトスター社)が開発したもので、一九九〇年に第一弾が発売されてから絶大な人気を誇っているそうです。

非楽篇において墨子は、貴族階級の音楽愛好の風習が政務だけでなく民の生活を妨げていると指摘し、その全面的な禁止を主張します。

墨子は、音楽は天下を混乱させるものだと主張する「非楽」(音楽を非とする)の理論を展開します。

戦国時代後期の儒家である荀子は、「天」は単なる自然現象にすぎず、「人」の行いとは直接関係しないという「天人の分」という思想を説きました。

優れた人材は使うのが難しいが、うまく使うことができれば大きな成果をあげることができるという意味の故事成語「良弓は張り難し」は『墨子』の名言として知られています。

耕柱篇の「義を為すは毀を避け誉に就くに非ず」という言葉、近年日本で注目されたことがあります。二〇〇四年、当時の小泉純一郎首相が自衛隊派遣に関する国会論争において、この言葉を引用し、自説を主張しました。

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