小説 Blue(ブルー)- 私たち、たぶん世界の存続のために生きてるわけじゃないですよ

投稿者: | 2024年5月15日

評価・レビュー

☆4/5

Blue(ブルー)と呼ばれた男を中心にした、殺人事件を追う刑事やBlue(ブルー)に関わった人たちの物語。

舞台が平成というのが特徴。

話としては、

平成15年に発生した一家殺人事件は引きこもっていた娘の凶行と思われたが、刑事 藤崎文吾はそれに納得がいかず、さらに捜査を続けていくうちに、共犯者がいることに気づくのだが・・・。そして、時は流れ、平成31年、刑事として出戻りした奥貫綾乃は、藤崎文吾の娘 司と相棒になり、多摩ニュータウン男女二人殺害事件を追っていくうちに、平成15年に発生した一家殺人事件との奇妙な繋がりに気づくのだった・・・。

みたいな感じです。

前半は藤崎文吾が中心で、後半は奥貫綾乃が中心の物語になっており、前半は前フリで、後半が話の主題になっている印象。

単純に事件を解決していく話ではなく、離婚して出戻った奥貫綾乃のパーソナルな部分の話と、謎の人物 Blue(ブルー)の生い立ちとが、視点を変えた形で社会構造の歪さというか、薄暗い部分をあらわにしていくというようなテイストになっています。

ですので、ジャンルとして社会派サスペンスみたいな感じかなと。

個人的には最初は、結構普通に読んでいたのですが、前半の終わり部分で、構成の上手さにやられてしまい、そこからはグイグイと引き込まれていって、楽しく読むことができました。

平成の話なので、平成をリアルタイムに生きた方だと、ニヤリとしてしまう時事ネタ的なものがいくつもあって、懐かしさを感じつつ、平成という時代を改めて感じることができる作品でもあります。

以下は個人的に気になった言葉などのメモ。

すべてのナンバーワンは、その人の主観上のオンリーワンに過ぎなくなってしまった

そして人は自分の価値を自分で決めなければならなくなった。すべてのナンバーワンは、その人の主観上のオンリーワンに過ぎなくなってしまった。 それは人が自由に、しかし孤独になったということだ。

葉真中 顕. Blue(ブルー) (光文社文庫) (Amazon)

本編では世界に一つだけの花の歌詞が出てきて、平成とはナンバーワンからオンリーワンが求められるようになった時代だったんだなと。

バブル崩壊によって様々な価値観が崩れ落ち、金や地位や名誉などを競い一番になるという価値観、目的が無くなり、自身の価値観を自身で決めなくてはいけなくなった時代という話。

それは今の時代も続いていて、SNSやYoutubeなどによって、社会が一極集中から分散型に移行しつつあるんだろうなと感じます。

ifをいくつ重ねても、すでに起きてしまった出来事が書き換わることはない

かもしれない。かもしれない。かもしれない――とifをいくつ重ねても、すでに起きてしまった出来事が書き換わることはない。

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過去を振り返り反省し、それを経験として次に生かすことは大切ですが、過去の過ちを後悔しているだけでは、前に進めないという話でもあるのかなと。

そうは言っても、後悔ってしちゃうんですよね。

比較的若く非正規で働く者は意見の表明よりも気分の共有を積極的に行う傾向がある

一般的にネットで政治的な意見を積極的に発信するのは、ある程度収入のある中高年の男性が多く、正田のように比較的若く非正規で働く者は意見の表明よりも気分の共有を積極的に行う傾向があるという。

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SNSの発達によって誰もが意見を言える時代になったからかもしれませんが、最近では、結構逆のような印象を自分は持っています。

特に過激な発言をする方は、その傾向があるのかなと。

で、ある程度、収入のある人は、むしろ波風を立てないようにしているような印象です。

まあ、統計データを取ったわけではありませんが。

でも、1日中ネットに張り付いてレスバするなんて、普通の仕事をしていたら、難しいですからね。

かなり時間的な余裕が無いと、ネットでレスバとかできない気がしています。

愛情と嫌悪は、まったく正反対の感情ですが、二者択一ではない

愛情と嫌悪は、まったく正反対の感情ですが、二者択一ではないのです。人は人を愛しながら憎むことができる動物です。我々大人だって、誰か一人について、好きなところもあれば、嫌いなところもあるのは、普通のことです。

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愛情100%というのは、幻想という話かなと。

人間ですから、イラッとすることもあります。

ただ、大切なのは、イラッとしたことをちゃんと誰かに話せるか、そして話した上で今後に対処できるかどうかかなと。

完璧な愛情の形を求めてしまうと、どうやっても実現は難しいです。

これは個人的に考えていることですが、人間の感情とは自身の予測した未来と現実のギャップから生まれていると思っています。

参考 → 感情とは「未来予測と現在の差分で発露するもの」ではないか

で、差分がマイナスであれば、ネガティブな感情が生まれるという話です。

つまり、自身の予測した未来(実現したい未来とも言えるかも)が、より高い目標というか、理想的な形であればあるほど、現実とのギャップが大きくなり、ネガティブな感情も大きくなります。

逆に言えば、予測する未来がより現実的であれば、差分は少ないので、ネガティブな感情も湧きにくいというわけです。

自身が100%の愛情を注げるという自信は、結果として自身にネガティブな感情を引き起こす可能性があると言っても良いかもしれません。

虐待を受けた子どもが大人になり、子どもを虐待するという連鎖がしばしば言われますが、これは単純に子ども時代の体験を自身の子どもに投影しているわけではなく、虐待を受けた経験から、自身が親になったときに虐待から最も縁遠い理想の家庭像を作りたいと強く考えてしまうからこそ、ギャップが大きくなってしまい、その反動が虐待につながってしまうのではないかというのが、個人的な見解です。

そんな理想的な家庭なんて、正直、どこにも存在しないと個人的には思っていますが、虐待を受けていたからこそ、そういう家庭は絶対に作りたくないという理想、強い未来予測、実現したいと考えている思いが強いからこそ、ギャップが生まれたときのネガティブな感情が大きくなってしまうのかなと。

まあ、このあたりは、様々な意見があると思いますが、個人的には強くイメージしている未来予測をぶち壊すことができれば、解決できることもあるのかなと思っています。

それに、別にいいじゃないですか。最悪、世界なんて滅んでも。私たち、たぶん世界の存続のために生きてるわけじゃないですよ

だって世界の私以外の人は私じゃないし、奥貫さん以外の人は奥貫さんじゃないですから。誰か一人が世界の命運を担う必要なんてないですよ。それに、別にいいじゃないですか。最悪、世界なんて滅んでも。私たち、たぶん世界の存続のために生きてるわけじゃないですよ

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この言葉は、話の流れとして、自分自身が欠陥のある人間で、そういう人間ばかりだと世界が滅んでしまうという前段があります。

だから、自分のような人間は生きていてはいけないのではないか、という流れです。

で、それに対して、世界の存続のために生きているわけじゃないという言葉というか、アンサーという感じ。

自分は結婚もしていないですし、子どももいないですし、今は働いてもいません。

世間で言えば、完全なダメ人間であり、社会不適合者であり、人生の落伍者でもあるかなと。

ただ、そんな人間がいても良いのではないかなというのが、今の個人的な考えです。

そもそも最近流行っている多様性という観点から考えれば、ダメ人間がいたって良いじゃないかなって思います。

また、ダメ人間がいるから、ダメじゃない人間がいるとも言えます。

なぜなら、ダメ人間を排除していっても、すべての人がダメじゃない人間になるわけではなく、結局残った人からダメ人間が生まれてくるからです。

社会で成功を勝ち得ている人たちは、多くの失敗した人たちがいるから成功を得られているわけです。

ダメ人間に配慮せよとは言いませんが、ダメ人間がいなくなると、社会構造としてのヒエラルキーが崩壊するので、やっぱりダメ人間は社会に必要なんじゃないかなって話。

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