
思ったことをつらつらと。
悪意の連鎖
ちょっと最近、悪意の連鎖に当てられていて、体調が良くなかったです。
悪意って1人から向けられるだけでもキツいのに、それが連鎖して2人から悪意を向けられると、流石に凹むなと。
何でそんなことになったのか?
人間というのは、物事を自分の思い通りにしたいという欲望があります。
しかし、物事というのは、思い通りならないことの方が多いです。
というか、物事を思い通りにできるというのは、人間の傲慢であり、業だろうなと。
で、自分が相手の思い通り動かなかったことで、相手に不満がたまり、それが悪意として向けられたという感じ。
他者を蹴落としても意味は無い
これは自分の考えですが、他者を蹴落としても意味は無いと思っています。
というのも、自分よりも優れている他者はごまんといるからです。
そのような人たちすべてを蹴落とそうと思っても、不可能でしょう。
そんなことに注力する暇があったら、自分を成長させたほうがよっぽど効率が良いというか、建設的というか。
他者は基本変えられないけど自分は簡単に変えられる
これも自分の考えですが、他者というのは基本変えられないと思っています。
そこに期待はしてないです。
願望はもちろんありますが、他者が変わらなかったからと言って、がっかりすることも無いですし、憤慨することもありません。
しかし、自分自身は変えることができます。
それはとても簡単です。
他者を蹴落としても意味が無いというのにも繋がりますが、結局、自分を変えるのが一番効率的だと自分は考えています。
もちろん他者を変えたいと思うことはあります。
その時に自分にできるのは、他者を変えようとするのではなく、自分の行動を変えることしかないかなと。
今回、少し相手に付き合ってしまったところがあって、それは反省。
基本は自分自身だと改めて再認識しました。
悪意を断ち切るのは難しい
他者を変えることができないということは、相手が持っている悪意を断ち切れないということです。
こちらが門戸を開いたとしても、相手が受け入れなければ、意味がありません。
トラブルが無い状態であれば、受け入れてくれると思いますが、相手はすでに悪意を持った状態なので、取り付く島もない状態なんですよね。
対話も交渉もできない状態。
少しだけ試みましたが、もはやどうしようも無い状態でした。
悪意によってついた邪気を払う方法
スピリチュアルな話ではなくて、悪意を向けられると、どうやっても精神的にダメージがあります。そのダメージを邪気とここでは呼んでいます。
気にしないという人は、本当にメンタルが強いなと。
自分はかなり影響を受けるタイプです。
で、いろいろなことがあったのですが、その邪気を払うというか一時的に払拭できる方法を見つけました。
それは「明るい人と話すこと」です。
これはかなり効果があったなあと。
会話自体は、あまり意味がなかったとしても、その明るさで話しているときは邪気が大きく払われました。
その後、また戻ってしまったのですが、性格の明るさは、かなり人を救うんだなあと実感。
自分も努めて明るく振る舞おうと思いました。