やらない後悔が正しい時もある

投稿者: | 2025年4月9日

思ったことをつらつらと。

悪意のある嫌がらせ行為

ある事柄をきっかけに、悪意のある嫌がらせ行為を受けています。

それに対して、毅然とした態度で臨む、具体的に言えば、こちら側からも反論をして、間違った行為を正すことを考えていました。

弁護士にも相談していて、証拠を確認してもらった結果、相手に非があることを確認。

さらに言えば、警察に相談すべき事案であると、弁護士から勧められています。

一番影響を受けるのは子ども

ただ、間違いを正すために、話し合いをしようとも、訴訟をしようとも、あまり良くない結果を招くだろうなと。

一番、影響を受けるのは子ども。

子どもにとって親という存在は非常に大きく、その庇護を失えば、子どもの人生に大きな影響が出てしまいます。

たとえ、自分の行動が正しかったとしても、その結果、子どもの未来をつぶしてしまう可能性があるのは、どうなのだろう?と。

悪意は欲望

悪意の元は、自分自身の欲望です。

欲望の種類はいろいろとありますが、今回の件について言えば、怒りの感情がもっとも大きいのだと個人的には考えています。

自身の期待した結果を得られないために、怒りの感情が発露し、その怒りを相手にぶつけているわけです。

この怒りが悪意を生んでいると思っています。

また、嫌がらせ行為をしている人は、私に対して、妬みを持っているのをずっと感じていました。

怒りから生まれた悪意が、妬みも加わって、増幅され、暴走しており、過激なことをしてしまったのだろうと。

完全な悪人なんていない

怒りによる悪意も、妬みによる悪意も、どんな人間であっても生み出してしまう可能性があると思っています。

そして、悪意を持って誰かを攻撃したり、貶めたりしたとして、その人間が完全な悪人なのか?というと、そういうわけではありません。

むしろ、多くの人間は、良い面の方が多く、悪意による攻撃は魔が差したとも言えるかなと、今は思っています。

なので、悪意の一面だけを見て、その人を判断し、糾弾するのは、あまり良くないのかもしれないなと。

寛容の精神を持つ

流石に今後も嫌がらせ行為を続けるのであれば、対処は必要かなと思っています。

ただ、現状においては、大きな被害が出ているわけではありません。

なので、寛容の精神を持って、対処するのが良いだろうなと、思っています。

いつか、自分たちがした過ちについて、気づいてほしいと思いますが、今すぐは難しいでしょう。

怒りや妬みの感情は、すぐに取り去ることが難しいからです。

それは自分自身も同様。

だから、納得しているわけではありません。

ただ、一時的な感情の高ぶりから生まれた悪意に対して、強く反応し、相手をコテンパンにするのは、また違うのかなと。

つまり、悪意に対して、ネガティブな反応をするのは、違うのかなという話。

警察の介入は人生を壊す

今回、弁護士からは警察に相談すべきだと進められています。

ただ、警察が介入すれば、その人の人生に大きな影響、最悪の場合、人生を壊してしまう可能性があるでしょう。

そして、一番影響を受けるのは子どもだろうなと。

様々な物語で、親が警察に捕まったり、警察にやっかいになることで、子どもの人生が大きく狂うことが描かれています。

自分が強く反応すれば、まさにそのような悲劇を引き起こすことは間違いありません。

相手が嫌がらせ行為をしているのは間違いなく、法律的にも、こちら側が正しいのですが、それによって生み出される結果、つまり子どもへの悪い影響は、果たして倫理的、道徳的に正しいのだろうか?と。

そう考えたら、自分自身ができるのは、寛容の精神を持ち、許すことなんじゃないかなって。

悪意を自ら生み出す必要はない

自分が弁護士の支援を得て、正しい行為をしたところで、相手はさらに悪意を募らせるでしょう。

また、自分自身も、その悪意に対して、強く非難し、攻撃することは間違いありません。

結果として、悪意の連鎖が発生するんじゃないかなとも思いました。

その連鎖はどこかで断ち切らないといけません。

もちろん、相手の嫌がらせ行為を訴訟などで正すことで断ち切ることは可能です。

ただ、子どもへの影響を考えると、その選択肢はないのだろうなとも思っています。

であるならば、自分が寛容の精神を持つことが、解決策なのだろうと感じています。

大人にできること

親からDVを受けた子どもは、親になったときに子どもにDVをするDVの連鎖が起きやすいことがわかっています。

親にやられた仕打ちを、子どもにもするわけです。

それに似ているなと。

子どもの可能性を潰さないこと、子どもにたくさんの選択肢があることを明示すること、それが大人にできることだと自分は思っています。

強制ではなくて、選択肢を明示することが重要かなと。

選ぶのは子ども自身です。

でも、たくさんの選択肢を与えられなかったら、子どもは選びようがありません。

そう考えたとき、子どもの選択肢を狭めるような行為は、大人として極力避けるべきなのだろうと思いました。

やらない後悔が正しい時もある

「やらぬ後悔よりやる後悔」という言葉があります。

そもそもの発端も、この言葉なのですが(笑)

で、思ったことは、やらない後悔が正しいときもあるんじゃないかなってこと。

今回でいえば、嫌がらせ行為を正す行為が結果として、子どもに悪い影響がでることは明白で、行動すればきっと後悔するだろうと思いました。

一方で、自分に対する嫌がらせ行為を野放しにしておくことに、納得はいっていません。

なので、行動しないことをずっと後悔するだろうなとも思っています。

ただ、やっぱり子どもの未来を考えれば、やらない後悔を選択するのが正しいだろうなと。

そんなことを思いました。