
思ったことをつらつらと。
切り抜き、捏造は最も倫理観を疑う行為
イギリスのNeuroskeptic氏が、心理学における問題のある研究のやり方を、ダンテの神曲になぞらえて“地獄”としてまとめたものがあります。
参考 → 心理学研究は信頼できるか?――再現可能性をめぐって(3)
この中で、もっとも問題のあるやり方のトップ3は、
- 第7の地獄:都合の悪いデータを公開しない
- 第8の地獄:都合の良いデータだけを選んで公開する
- 第9の地獄:データの捏造
です。
言ってしまえば、切り抜きや捏造のこと。
それをする人間は倫理観的に、問題があると言っても良いでしょう。
ただ、人間ですから、魔が差すこともありますし、感情的になってやってしまうこともあります。
その時は、切り抜きや捏造をしたことについて謝罪するのが一番かなと。
というか、むしろ悪いことをしたのに謝罪しないことの方が、倫理観的には問題ある気もしますね。
研究だけの話ではない
これは研究だけにとどまらず、情報発信するときにも言えることかなと。
マスコミなどがその典型例です。
最近では、官公庁ののり弁なんかもそうかなと思います。
結局、公開できないというのは、何か悪いことをしていることの裏返しとも言えるのかもしれません。
第三者の目が必要
当たり前ですが、情報については、当事者の認識だけで判断するのは、良くないかなと思います。
第三者の目が必要です。
というのも、人間ですからバイアスもかかっているでしょうし、感情も入ってくると、目が曇ってしまうというか、間違った結論に陥りがちだからです。
個人情報などは公開できないが
個人情報など公開できないものも存在します。
そのような情報については、秘密保持の義務がある、例えば弁護士などに見てもらうのが良いかなと。
第三者の目としても良いきがします。
専門的な情報については、なかなか難しいですね。
すべてを知ることはできない
もちろん、すべてを知ることはできないので、知らない情報がでてきたら、謝罪し訂正するのが一番かなと。
結局、自分たちの非を認められないことが、人間同士の諍いの元になっている気もします。
認めたくないという気持ちはわかりますが、それによって多くの被害が出ますし、最終的にそれは自身に跳ね返ってきます。
ですので、できるかぎり謝罪し訂正するのが一番です。
謝罪ができないことが、もっとも倫理的に悪いことだと思うので。