アラン 幸福論 (岩波文庫)を読んで幸福になる方法について感じたことを、つらつらと書いていきます。
不幸になるのは何もむずかしくない
まずはいくつかアランの幸福に関する言葉を紹介します。
不幸になるのは何もむずかしくない。
ほんとうにむずかしいのは、幸福になることだ。
だからといって、幸福になろうとしないことの理由にはならない。
幸福はあのショー・ウィンドーに飾られている品物のように、
人がそれを選んで、お金を払って、
持ち帰ることのできるようなものではない。
幸福とはすべて、
意志と自己克服とによるものである。
これらから、アランが考える幸福になる方法は「自分自身の幸福になろうとする意思」が大切なのかなと個人的には思いました。
ブラック企業を辞めて良かった
自分は今、結構幸福かなと。40代、無職、独身ではあるけれど、ずっとやりたかったことをできているからというのがあります。
そもそも自分はブラック企業に勤めていて、かなりハードな仕事でした。基本、休日は存在せず、たまに息抜きはしますけど、ほぼ起きている時は仕事してましたね。
社長は瞬間湯沸かし器みたいな人で、気に入らないことがあるとすぐに怒って、最後の方は殴ったり蹴ったりもありました。かなり理不尽なことで。
辞めれば良いというのはわかってたんですけど、いろいろなしがらみというか、そもそも論としては、その前もブラック企業でほんとクソみたいな会社だったんですけど、いろいろとあって社長が変わって、その社長が自分を抜擢してくれたという経緯があって、恩を感じていたというのがあります。
あと、理想的な会社の在り方についての考え方にかなり共感できたというのも、ずっと一緒に仕事をしていた理由ですね。
それが徐々に変わっていったというか、最後の方は不正もするほどに、変わっちゃいました。いろいろな理由はあると思うのですが、それはまた別の機会に。
で、なかなか辞めにくかったというか、恩も感じてたし、ある程度自分が緩衝材になればというのもありましたし、汚れ役も結構やりましたが恩を返すという感覚もあったように思います。
ただ、やっぱりおかしくなっていった時に辞めれば良かったなと。それは今だから言えることですけど。
いつだって辞めることはできたんですよね。ただ、考えることを放棄はしていなかったけど、状況を変えることを恐れていたのかなって気はします。
まあそれも、間違いで、辞めてしまえば良かったなというのが、今の本音です。
自分の意思で幸福になろうとすること
大変な人はいっぱいいて、自分はまだ恵まれている方だと考えていたのもあるかなと。
アランの言葉を借りれば「幸福になろうとしないことの理由にはならない」というのが結構しっくり来ていて、幸福になれる人は少ないのだから、自分が幸福になれなくても仕方がないみたいな感覚。
本来あるべきは、自分の意思で幸福になろうとすることで、そのための意思と自己克服をすべきだったのだろうと、振り返って思います。
幸福のカタチは人それぞで、何が幸福かなんて、絶対的な指標はないのかなと。ショーウィンドウの商品のように買って持ち帰ることができないとアランの言葉が、まさにそれを間接的に表しているようにも思います。
考えてみれば当たり前で至極単純なことではあるんですけど、それは今だから言えることでもあるかなと。
自分自身と話し合う時間を作ること
自分自身を振り返ってみて感じるのは、仕事をしていて毎日が忙しいと、同じ言葉を聞いても、馬の耳に念仏じゃないですけど、響かないんだろうなとも思ったり。
そう考えると「自分の意思で幸福になろうとすること」の前に、「ゆっくり幸福について考える時間を作ること」が幸福になる方法の第一歩なのかもなあと。
自分は最終的に病気で仕事を辞めることになって、その時は全然駄目だったんですけど、3年という時間が過ぎて、今はかなり幸福感が高いかなって思っています。
人によってかかる時間は違うとは思うのですが、自分自身と話し合う時間を作るのって、大切なんじゃないかなって思いました。