
思ったことをつらつらと。
人と対話しているようで、自分と対話しているだけなのかもしれない、そんなことをふと思う。
そういう意味では、愛というのは自分の中にしか存在しえず、愛するというのは心の中の他者であって、外側ではないのかもしれない。
つまり、そこに心の中の他者と外側の他者にギャップが生じる。
心の中の他者というのは、期待とかそういうものなのかも。
こうあってほしい、こうあるべきだ、そんなもの。
で、外側の他者には、それぞれ意志があり、別で考えている。
そこにギャップが生じる。
小さなギャップであれば問題無いけど、大きなギャップだと、関係がこじれてしまう。
内側と外側のギャップは、感情と言っても良いかもしれない。
本当は単なる差分なのだが、それをデータ、情報として捉えることができないという話。
もし、データとして捉えることができれば、つまり現象をそのまま受け入れることができれば、おそらく悲しみや苦しみが無くなるだろう。
そして、楽しみも無くなるような気がする。
それは、コンピュータに対して情報を入力している状態に近い。
コンピュータには感情が無い。
というか、そもそも内側での予測や期待が無い。
ただ、受け入れるだけ。
そう考えると、人類が行き着く先は、やはりAIなんだろうなと思う。
もしくは、それに抗う人たち。
どちらが良いとか、悪いとかではなくて、どちらに進みたいかだけだろう。