前頭葉バカ社会 自分がバカだと気づかない人たち – 前頭葉をしっかり使わないと、変化に対応できず、生き残れない

投稿者: | 2024年10月15日

評価・レビュー

☆4/5

思考力、判断力、集中力、創造性、意欲、感情のコントロールなどを司る前頭葉をしっかり使わないと、変化に対応できず、生き残れないという話。

前頭葉をちゃんと使わないと前頭葉バカになると著者は述べていて、学歴など関係なく、9割の人間が前頭葉バカであると言います。

前頭葉バカがしがちなこととしては、

  • 「自己モニター」をする習慣がない
  • 「二分割思考」しかできない
  • 仮説を立てて、実験しようとしない

を挙げていて、それぞれについての詳細は本書をご確認ください。

また、前頭葉バカにならないためには、

  • 変化を楽しむ
  • 自己モニターをする
  • アウトプットする習慣をつける
  • 「より現実的な議論のしかた」を身につける
  • 前頭葉を元気にするために「ただ動く」

が重要だと述べています。

個人的に前頭葉バカなのかどうかは、なんとも言えませんが、著者が考えているのは、前頭葉バカという言葉によって、時代の変化についていくために必要なことを語っている本かなと捉えました。

このあたりは読む人によって印象は様々変わるかと思います。

バカの壁で有名な養老孟司先生が表紙にも出ていて、多少煽り感はあるかなと。

前頭葉バカにならないための方法を見ると、結構一般的な結論なので、刺激的な言葉に対して、違和感が少なく読めるように感じました。

以下は本書より引用しつつ、個人的なメモ。

感情が悪なのではない

感情が「悪」ではない、ということです。マイナスの感情や怒りは、人間を成長させる原動力にもなります。重要なのは、マイナスの感情を前頭葉を使って自制することです。感情をコントロールできるかできないかによって、人生に大きな差がつきます。

不正をした官僚や暴言を吐いてしまった議員の事例の後に続く文章です。

それらの不正や暴言などにしてしまう感情それ自体は悪ではなく、それをちゃんとコントロールできることが大切という話。

アンガーマネジメントなども同様かなと思います。

人間、誰しも権力を得たり、力を持ってしまうと、気が大きくなるのか、悪いことをしがちです。

自分は結構いろいろな会社で働いてきましたが、いわゆる上に立つ人は、何だかんだと一癖も二癖もあって、根回しが上手いというか、立ち回りが上手というか、手練手管に優れているなと思いました。

様々なやり口がある中で、グレーなこと、ちょっと悪いことはみんなやっている印象です。

で、クリーンな人ほど、昇進できてないなあと思ったり。まあ、クリーンな人が上に立つと、それはそれでやりにくい場合もあるので、何とも言えませんが。

何が言いたいかというと、誰しもが権力や力によって、本来の自分では選択しないような選択をしてしまうという話です。

その時に、歯止めとなるものが無いと、行き過ぎしまうというのが、個人的な考え。

本書の著者である和田秀樹氏は、メンターの存在について力説していて、確かに自身を客観的に見てくれて、導いてくれる存在というのは大きいと感じました。

ただ、メンターを見つけるのって結構大変なのかなと。

あと、メンターにも話せないことって多い気がしています。

なので、個人的にはカウンセリングが良いのかもしれないと最近は思っています。

参考 → いじめを無くすことはできないが、カウンセリングで減らすことはできるのではないか? | ネルログ

問題解決能力から問題発見能力の時代へ

世界的な経営学者ピーター・ドラッカーが1960年代に「最終的には知識が最大の生産手段になる」と知識社会の到来を予測したとおり、「問題解決能力」の高い人が「リコウ」とされるのが現代です。これまでの常識を覆すような社会変化が次々と起こる不確実性の時代には「問題解決能力」がある人間が富を生み出してきました。  ところが、将来はAIが問題を解決してくれるので、問題点を発見し、解決にいたる仮説を立てる「問題発見能力」も大切です。

時代によって求められる能力は変化します。AI時代においては、問題発見能力が重要になると著者は述べています。

この点については、個人的には違う見解です。

まず、現代におけるAIとは、これまで人間が作ってきた膨大なテキストや画像データなどから、アウトプットをする機械です。

つまり、これまで人間が出会ったことが無い、まったく未知の事柄については、アウトプットすることができません。

AIは人間のこれまでの知識ベースで作られている

例えば、ChatGPTにAI国家の設立について聞いてみてください。そこには人類が作った国家がベースになった答えが返ってきます。

大量の文章が返ってくるので、何かすごいように思えますが、実際にAIのみの国家を想像してみると、ChatGPTの回答とは異なるようなイメージがたくさん浮かんでくるのではないでしょうか。

これは当然のことで、あくまで現状のAIは、人間の知識がベースになっているからです。

そして、人間の知識はどんどんと増え続けていますし、どんどんと新しいことを考える人は、今後も後を絶たないでしょう。

結果として、新しい問題がどんどんと生み出されていきますし、その問題を解決するのは人間ということになります。

もちろん、過去に解決した事例に近いものが存在しているならば、解決は容易でしょう。

しかし、今の世界を見れば、解決できない問題ばかりです。

ですので、問題解決能力というのは、今後も人間に求められる能力だと思います。

AIの使い方としては、過去の人間の叡智をざっくりまとめて回答してくれるという点で、圧倒的に人間よりも優れているので、そのような使い方が良いかなと。

車輪の再発明をしても意味はないですからね。そういうのは、AIの力を借りた方が良いです。

そう考えると、単純に問題解決能力というわけではなくて、AIなどの様々なツールなどを使った問題解決能力というのが正しいのかもしれません。

AIでは交渉による解決ができない場合がある

また、AIは交渉ができません。残念ながら、どれほど正論であっても、それに応じない人というのが存在するからです。

その点でもAIでどんな問題が解決できると考えるのは、ちょっと違うのかなと。

問題の発見はAIが得意かもしれない

さらに、問題発見能力が大切という点についても、個人的には少し見解が異なります。

むしろ、問題解決能力こそAIの本領が発揮できる場所なのでは?ということです。

一番わかり易い例は、医療における画像診断でしょう。人間では判断がしにくい病気などについて、過去の大量の画像データから、病気の可能性を発見する能力は、すでに人間を超えていると自分は考えています。

ただし、それが正しいかどうかのファクトチェックは必要で、そこにはやはり人間の判断というか、性格には決断が必要なのかなと思っています。

とにかく、AIの強みは大量のデータから、大きな傾向を掴むだけでなく、小さな違和感を見つけるのにも使えるという話です。

人間が見逃してしまうような些細なことも、AIなら見つけることができるでしょう。

そのような種をAIに見つけてもらうことで、新しい発見に繋がると個人的には考えています。

その際には、仮説を立てて実際にやってみる必要があり、それはやはり人間の役目なのかなと。

なので、問題発見能力ではなくて、やはり問題解決能力なんじゃないかなというのが個人的な考えです。

今後、AIがさらに進化し、自我を持つようになったら、またちょっと話は変わってくると思いますし、そうなったらもはや人間は必要ないかもしれませんが。

プログラマは今後も必要というか、プログラマ以外不要になるかも

あと、余談ですが、本書の中でAIがプログラミングをしてくれるから、プログラマがいらなくなるという話がありました。

AIは人間によってプログラミングされているので、プログラマがいなくなると、現状のAIではこれ以上進化できません。

また、システム開発をしたことがある方ならわかると思いますが、AIが作ったプログラミングをそのまま使えることって無いですよね。

テストもしなければいけませんし、バグがあったら直さないといけません。

過去に同じようなバグの症状があり、それで改善できれば問題無いですが、残念ながら新しい技術の場合は特に、情報が無いことが多いです。

なので、そのバグを直すにはプログラマが必要になります。

さらに、AIを稼働させるには、メンテナンス、いわゆるサービスの運用が必要です。

そのメンテナンスをするのも、プログラマというか、エンジニアと呼ばれる人たちになります。

サービスの運用は、システム開発とはまた違ったノウハウが必要で、それはそれでAIに任せるのは難しいんですよね。

特にユーザが人間の場合は・・・。サービス運用したことがある方はわかるかと思いますが。

おそらく著者の方は、システム開発やサービス運用に関わったことが無いのかなと推測されます。

この点については、差し引いて考えた方が良いかなと。

落ち込んだときは反省しない

悪循環を断つためには、「落ち込んだときは反省しない」とキッパリと決めることです。  反省しようとすると、自分の弱点や失敗点を探しがちで、自己批判が起こるからです。ここで必要なのは反省ではなく、多様な思考です。

個人的には落ち込んだ時やミスをした時は、それをどうやって解消するか、リカバリするかを考えるのが良いと思っています。

まずは現状の問題を解決することが大切だと考えているからです。

なので、著者の述べるように、多様な思考というのは、非常に共感できます。

ただ、緊急の場合を除き、個人的には一度寝ることが大切かなと。

かのニーチェは、

疲れているときは反省をしたり、振り返ったり、ましてや日記など書くべきではない(超訳ニーチェの言葉 Kindle版

と述べていて、疲れている時はマイナス思考になるので、さっさと休めと言っています。

落ち込んでいる時とか、ミスをした時というのは、疲れていることが多いですし。

なので、本来であれば、一度休むのが個人的には正解なんじゃないかなと。

ただ、世の中的には、そういう考え方はあまり受け入れにくいのかもしれませんが。

あえてムカつく本を読む

前頭葉を鍛錬する方法のひとつとして、「あえてムカつく本を読む」ことをおすすめしていますが、自分とは真逆の相容れない意見に触れることは、新しい見識を見出すことにつながるからです。

前頭葉が鍛えられるかどうかはわかりませんが、自分が今ちょうどそれを実践していたので、とても共感できました。

自分の場合は、ムカつく本というのはあまりなくて、世の中でもてはやされて人で、正直、その言動にあまり心を動かされないような人の本を読むという感じです。

あとは自分の趣味嗜好とは違う本もありますね。

読んでみると、実際に微妙なこともしばしばありますが、かといって全く何も発見が無いかと言われるとそんなことは全然ありません。

そもそも価値観が異なることを認識できるのは、それはそれで自分は意味のあることだと思っているので。

また、本に限らずですが、やはりその人の作品に触れておかないと、その人に対して何か述べるのも違うかなというのもあります。

という感じで、いろいろと書きましたが、他にも興味深い話が多く、参考になる内容も多々あると思います。

個人的にもう少し踏み込んでほしかったなと思った点は、前頭葉バカの定義について、脳科学的な面の話かなと。

ただ、そこに踏み込んでしまうと、前頭葉バカというキャッチーな言葉では語れなくなってしまうのかもしれないなとも思いました。

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