寄付モデルで人の善意につけ込むのはどうなのか?

投稿者: | 2024年12月13日

個人的にぼんやりと考えていたことのメモです。特に正解とかはありません。

寄付によって組織運営をする際に、人の善意につけ込む人もいるよなあと思った話。

具体的に言えば、寄付しなければ悪い雰囲気を作ったり、悪い人のように扱うということ。

寄付はいくらでも良いですと言いながら、少額だと微妙なことを言ったりするのもそうですね。

これらの行動は、個人的に人の善意につけ込むものかなと思ったりしました。

あと、寄付による組織運営に失敗した時に、人の善意が無かったという理由付けをされてしまうこともあるかなとか。

別にそういう人に出会ったというわけではなくて、寄付モデルについて考えていた時に、そういうことをする人もいるだろうなということです。

これはあくまで個人的な考えですが、社会の基本は、価値の等価交換によって成り立っていると思っています。

で、寄付モデルも価値の等価交換だと思っていて、寄付する側が価値を感じることができれば、問題無いという話です。

しかし、前述のような行為は、価値以上のものを、相手の善意を人質にとって要求しているんじゃないかなと思ったということ。

また、価値を提供せずに、一方的に寄付を貰おうとするのは、言ってしまえば搾取、または寄生でしかないのかなあとか。

で、これが寄付モデルというか、善意モデルの課題なのかもしれないとは思いました。

いや、もっと正確に言えば、善意モデルを悪用する人間の問題と言えるかもしれません。

クラウドファンディングなんかは、それをうまくビジネスにしたなあと。

クラウドファンディングの対価って、別に感謝の言葉とかでも良いんですよね。

そこにお金を出す側が価値を感じることができれば良いわけで。

別にお金に見合う物を渡す必要はありません。

クラウドファンディングについては、キングコングの西野さんが書いた夢と金あたりが参考になる気がします。

ちなみに、この話には結論は無くて、単純に個人的にそういう人に出会ってしまったら、距離を置こうと思っただけです。


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