善とは利益追求行動ではなくて、最適化の可能性もありそう

投稿者: | 2024年12月28日

善悪の定義と考察〜善とは何か? 悪とは何か?を書いたあとに、少し思ったことのメモ。

善とは最適化の可能性

「善とは社会の利益を追求する行動」ではないか?と個人的に考えていたのですが、もしかすると最適化の可能性があるかもしれないなと思いました。

ざっくり言えば、最適化とは目的達成のため、最高の結果がでるように調整すること。

つまり、良い社会になるように調整していくことが善なのではという話です。

全体最適が善、個別最適が悪

社会全体で考えた時は全体最適で善とするならば、やはり個人で考えた場合の個別最適は悪と考えるのが結構すっきりするかなと。

個別最適をすること自体は悪いことではないのですが、個別最適をしていけば、多くの場合、全体最適とぶつかるので、それが善悪の構図になるということです。

個別最適には当然お金などもありますし、わがままな行動なども含まれます。

善が変化するのも最適化し続けるから

善が時代によって変化していくのは、最適化がずっと続くからです。

時代の変化というのは、端的に言えば、価値観の変化。

一昔前は、LGBTQなんて、そもそも人権が無いような扱いでしたが、この数十年で大きく変わりました。

価値観が変化したことで、社会が最適化され、善も変化したという感じ。

善が先という考え方もあるが

ただ、最適化が先か、価値観などの変化が先か、善の変化が先かというのは、結構判断が難しいかなと。

つまり、善という考え方があって、それに合わせて価値観が変化し、社会が最適化されたという考え方です。

個人的には、善から先にあるということは無いかなという見解。

その大きな理由は、善が先にあれば、LGBTQの方々は差別を受けることは無かったからです。

つまり、様々な価値観が生まれる方が先という話。

もちろん、最初に今のようなLGBTQへの差別を無くすことが善であると唱えた人はいるでしょう。

しかし、差別があった当時は、提唱した人自体が異端であったと自分は考えています。

それは宗教の歴史からも導き出せるかなと。

全然関係無い話ですが、昔バトル・ロワイアルという小説が出版された際に、自分は衝撃を受け、いろんな人に薦めたのですが、何て残酷で酷い小説だとまったく理解されませんでした。

しかし、映画化の流れができてから、周囲の反応は大きく変わったというか、むしろ人から薦められるようになります。

その後、バトル・ロワイアルは1つのジャンルとなり市民権を獲得しました。

重要なことは、価値観が一瞬で大きく変わったということです。

全体最適と功利主義

全体最適と功利主義は似ている考えのように思えます。

ただ、個人的には目的が違うので、まったく違うものかなと。

正確に言えば、全体最適の中には当然最大多数の最大幸福を目的とする場合もあるという感じなので、功利主義を含む考え方なのかもしれません。

社会の全体最適は、当然お金的な場合もあれば、戦争に勝つという場合もあるのかなと。

その目的に向かって最適化していくことが、その社会における善になるという話。

前述の「善とは社会の利益を追求する行動」も同様ですね。

社会の目的が利益追求であれば、全体最適の善は利益追求行動ではありますが、目的が変わった場合には、利益を無視することもあり得るという話。

ただ、あくまで利益追求行動でしかないので、利益の考え方をどこまで拡張するかによっても変わるかもしれません。

そう考えると、

「善とは社会の目的達成のための全体最適行動」

なのかもなあと。

全体最適ではなくて、全体最適行動な理由

ちなみに、全体最適ではなくて、全体最適行動としているのは、行動の結果、全体最適にならなかった場合も想定してのことです。

完璧な未来予測は不可能なため、行動時には最適だったとしても、結果が最適ではなかったねという場合もあるという話。

もちろん、結果論として善悪を決めることもできますが、そうなると善悪の定義と考察〜善とは何か? 悪とは何か?で書いたように、勝てば官軍になってしまうため、戦争を全肯定する必要があります。

個人的には戦争については、かなり否定的というか、戦争はそもそも最終手段であって、戦争をしないことが富国にとって最も重要だと思っているため。

と、話が逸れてしまったのですが、その時その時で、最適な行動をするのが当然と考えれば、善と最適化というのは密接な関係にありそうだなと。

そして、社会、集団と言っても良いですが、属する集団の全体最適が善、善的な行動になるというのは、結構しっくり来る気がしました。


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