善悪という怪物: それは脳で繁殖し、人を支配し、世界を破壊する – 人は善悪を使って自身を騙す

投稿者: | 2024年7月22日

評価・レビュー

☆3/5

善悪という概念が人間に錯覚を起こし、それに支配されているという内容。

言ってしまえば、人間は都合よく善悪を使い分け、逆に善悪に踊らされてるって感じです。

自分自身を騙しているという表現の方が正しいかなと思います。

本書では、善悪を使って自分をどうやって騙しているかについて、書いている本です。

個人的に感じた点としては、自分を騙す方法については善悪に限った話ではないかなということ。

本書でも酸っぱい葡萄の話が出てきますが、結局、その個人の状況とか、感情とか、様々な要因によって人間が判断を間違ってしまいます。

大切なのは、間違った判断だったと自身が少しでも感じた時に、一度立ち止まって、すべてを受け止め、考え直してみるということなのかなと。

本書の結論としては、善悪という概念を捨てることで、世の中が少し良くなるとしています。

確かに、過去の歴史を振り返っても、正義の名の下に行われた行動は、別な視点から見ると単なる虐殺だったりすることが往々にしてありますよね。

現在でも、正義の名の下に、SNSでのバッシングが激しくなっているのも事実です。

その第一歩として善悪について、いちど考え直してみるきっかけには良い本かなとは思いました。

また、善悪の定義がそもそも人間に錯覚を起こす心理システムとしていて、善や悪そのものの概念に対する定義ではないので、異論はいろいろとあるだろうなと。

なので、人によってはモヤッとしたまま、読むことになってしまうと思いました。

善悪の定義

じゃあ、善悪の定義って何なんだ?という話。

あくまで個人的に現段階で考えている善悪の定義は、

「善とは社会の利益追求行動、悪とは個人の利益追求行動」

かなと思っています。

そもそも自然状態、つまり人間が社会を生み出していない状態では、善悪の概念が存在しません。

野生動物の行動に、人間は善悪を求めないですよね。

クマがシャケを食べたからといって、ライオンは悪!と誰も言いません。

社会が形成され、そこで社会の利益、社会をうまく回していく方法として、ルソーなどは社会契約という概念を提唱しました。

個人的には、これが善のはじまり何じゃないかなと。

ふと、周りを見回してみると、善と言われる行動は社会の利益を追求していることが多くないでしょうか?

社会の利益というとちょっとわかりにくいかもしれませんが、人間が安心して生活できることと言い換えるとわかりやすいかもしれません。

その多くは法律で定められています。

法律違反をすれば悪なわけです。

なぜ、法律違反をすると悪なのかと言えば、人間が安心して生活できない状態を生み出しているからというわけ。

善が人によって違うわけ

「善とは社会の利益追求行動」と定義しましたが、人によって善が変わる理由は、社会の利益に対する考え方や見方、未来が違うためです。

Aという行動が本当に社会にとってプラスとなるのか、人間が安心して生活できることに繋がるのかは、その人の状況や感情など、様々なな要因によって変化します。

お気持ち表明なんて言葉がありますが、表明している本人たちにしてみれば、それは社会にとってプラスになることだと思っているので、善の行動なわけです。

ただ、感情が優先されていまっているのと、実際に人間が安心して生活できることに繋がるのかは、他の人によって状況が変わりますし、そもそも未来なんてわからないので、議論が平行線になります。

AV新法なんかはまさにその典型例かなと。

関わった人たちは、AV新法によって、女性が救われると考えているわけです。それが社会のプラスになると。

しかし、実際には、特定の業種の方たちの収入が下がり不利益を被った人がたくさんいましたし、違法な売春行為などが横行し社会問題になりました。

結果として特定の人たちの地位も大きく下がるということになります。

じゃあ、AV新法自体が悪なのか?というと、これまで契約で不利益を被っていた女性の人たちを守るという考え自体は、社会にとってプラスな考え方なので善と言えるでしょう。

それを否定する人はいません。

このように1つの行動であっても、社会にとって利益になっているかどうかが基準になるので、善と悪が混在するという状況が発生します。

さらに、社会という言葉が個人的には曖昧かなというのも、人によって善の概念が変わる、正確には状況によって善の概念が変わる理由かなと。

具体的には、社会が日本を意味するのか、地域を意味するのか、組織を意味するのかということです。

どの社会の利益を考えるのかによって、意見が相反することになります。

さらに、人間には個人の利益を考える生き物です。

どのような行動であっても、個人の利益が多少入ってしまいます。

個人的にはこの個人の利益を隠す方法が、本書で書かれている善悪の錯覚かなと。

なぜならば、「悪とは個人の利益追求行動」だからです。

個人の利益追求行動とは、単純に自分のやりたいことを優先することではなく、個人の利益追求行動によって、社会の利益が損なわれる行動というとわかりやすいかなと思います。

わかりやすい例は泥棒とかですよね。

まさに、個人の利益を生み出し、他者への不利益を生む行動の典型例です。

そして、人間は誰しも悪にはなりたくありませんから、それを隠すために、自分を騙すというわけ。

この社会の利益と個人の利益のバランスによって、社会は動いていると個人的には思っています。

戦争は社会と社会の利益追求のぶつかり合い

つまり、善悪は社会と密接に繋がっているということ。

なので、善悪の概念を無くすということは、自然状態に戻るということなので、無人島に行って自給自足をすれば良い話なのです。

逆に言えば、社会の中で生きるには、社会を理解するためには善悪が大切とも言えます。

戦争とかも社会と社会のぶつかり合いで、それぞれの利益追求行動によって引き起こされた結果なのかなと。

つまり、どちらも自分たちの社会の利益追求行動なので、自分たちは善であると確信しているわけです。

そして、社会の利益は、その時その時でいろいろと変化していきます。

そのため、善も変化していくという話。

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