
思ったことをつらつらと。
目次
優しさとは何か?
優しさって、人を気遣ったり、親切にしたりすることというイメージがあります。
ただ、その根底にあるものって、何かなって考えたときに、「受け入れること」なんじゃないかなって。
相手のために何かすることって、一概に良い面ばかりじゃ無いなと思ったり。
小さな親切、大きなお世話なんて言葉もそうですし、相手のためにいろいろとやりすぎることで、相手に依存されてしまうこともあるなあと。
思いやることは大切だけど、底にある気持ちはわからない
相手のことを思いやる気持ちはとても大切だと思っています。
ただ、その心の底にある気持ちって、本人が言ってくれないとわからないんですよね。
結果として、齟齬というか認識違いが起きてしまうこともあるなあと、最近感じています。
要求をすべて飲むのも優しさじゃない
「受け入れる」というと、相手の要求をすべて飲む、要求を実現するみたいに思えるかもしれません。
個人的にですが、それは「受け入れる」ではなくて、「従属する」かなと。
つまり、要求を飲むのではなくて、要求を聞くことが、優しさなのかなって話です。
だって、受け入れられない要求ってありますよね。
受け入れてくれないから、優しくないってのは、ちょっと違うんじゃないかなって話。
対等な人間関係って、お互いにフラットな状態
相手の要求をすべて飲むというのは、「従属する」で、それは奴隷と一緒。
もはやそれは、対等な人間関係じゃないですよね。
対等な人間関係って、お互いにフラットで、要求はしたとしても、それを相手が飲むかどうかは、別というか。
大切なのは、まず話を聴いてくれることなんじゃないかなって。
それが「受け入れる」ということで、「優しさ」なんじゃないかなって。
つまり、「優しさとは、話を聴いて受け入れること」じゃないかなと思っています。
対話は、両者が話を聴いて受け入れる対等な関係で成立する
そして、両者が話を聴いて受け入れることが対等な関係であって、家族や友人、恋人という人間関係の最低条件なのかなと。
で、対話は、両者が話を聴いて受け入れる対等な関係で成立するものかなと。
相手の話をちゃんと聴けない関係になったら、対話ができていなくて、たぶん、それはもう終わっているんだと思います。