
会社は定年がある。なのに議員には定年が無い。
なぜなのか?
そもそも定年の意味を考えたことがあるのか?
単純に労働力として、大金を払って働いてもらうには、コストに見合わないからだ。
つまり、パフォーマンスの問題。
人間は誰しも歳を取ればパフォーマンスが落ちる。
経験が〜という人もいるが、正直、人間は忘れる生き物だ。
例えば、高校時代に習ったことを、今でも鮮明に思い出せるだろうか?
大学時代に学んだことを今でも鮮明に思い出せるだろうか?
もちろん、ある程度覚えていることもあろう。
しかし、その大半は、欠落して思い出すことはできない。
結局、人間がすべてを覚えていることなど無理なのだ。
歳を取れば取るほど、覚えていられる、正確には、すぐに引き出せる情報が減っていく。
様々な情報から、判断をしなければいけない立場の人間が、情報不足の状態で判断するのだから、それが多くの国民が納得できる判断であるはずが無い。
つまり、判断するための情報が足りてないのだ。
正しくは、判断するための情報を覚えておくことができないである。
結局、IT後進国になってしまったのも、ITをまったく理解していない人間が判断しているのだらか、当然の結果と言えよう。
AIについても、同様に今後日本は大きく遅れを取ることは間違いない。
というか、すでに遅れている。
そこに危機感を持つのが普通なのだが、そもそもそういう状況すら理解できていないだ。
そういう人間が日本の政治を動かしている。
だから、議員にも定年が必要だと思う。
日本の議員の給与は世界的にみても高い方である。
その上、議員年金もある。
だから、定年で辞めてもらうことがデメリットとは言えない。
そうすることで、日本の政治の若返りを図るのが良いのではないか。
そもそも、今の日本の状態が異常なのだ。
結局、まともな判断をするための情報を覚えていることができない人間が、舵取りをしている限り、まともな社会になることは無いだろう。
日本の政治家が愚かなのではない、歳を取ったら、皆パフォーマンスが落ちるという話をしているのだ。
それは列記とした事実であり、それすら認められないのであれば、結局、事実に基づく判断すらできない人間と言わざるを得ない。
議員立法の中には、自分たちの妄想を信じ、事実確認もせずに法律を作ってしまうこともあった。
結果として多くの弊害が生まれたが、彼らはまったく気にしていない。
なぜなら、そもそも弊害など彼らの中では存在していないのだ。
そんな事実は存在していないと、本気で思っているのである。
彼らは自分の妄想しか信じていないから、他者から客観的な事実をつきつけられようとも、自身の主観を信じているので、意に介さないのである。
結局、歳を取ることで、人間はパフォーマンスがおちていくから、どうやっても新しい情報を取得しにくくなるし、自分の考えに固執しがちになる。
これは、誰しもがそうなのだ。
歳をとってもパフォーマンスが高い人はいる。
それは間違いない。
しかし、それは稀有な例だ。
自分が歳を取ってわかる。
新しいことについていくのが、かなり大変なのだ。
自分は最近、生成AIサービスをいろいろと触っている。
だが、若い時に比べれば圧倒的に、新しいものへのアプローチが遅い。
というか、腰が重い。
誰しもがそうなのだ。
そして、歳を取り、パフォーマンスが落ちた人間が日本の政治を動かしていることを、多くの人間は認識すべきだろう。
自分のパフォーマンスが落ちたことを認めるのは、それほど難しいことなのだろうか?
それが大人として、あるべき姿なのだろうか?
現実を、事実をちゃんと見つめ、受け入れることが大切ではないのだろうか?
もちろん、脳科学的には、歳を取っても落ちないパフォーマンスはある。
しかし、今は時代の流れが速すぎて、新しい情報をどれだけ取り込めるか?が大切な時だと思っている。
10年前常識だったことが、今は非常識になったりする世の中なのだ。
その変化に適応することができるのは、やはり若い世代だろう。
ITを拒否し続けた結果、日本は明らかにIT後進国になった。
ITに強い人はたくさんいるけれど、日本発のITサービスがほとんど生まれていないのが、その証拠といえる。
もっと前から、ITに国として力を入れていれば、これは政治だけの話ではなくて、会社の経営層もそうだけれど、今とは違った未来になっていただろう。
もう結果は出ているのだ。
だからこそ、その失敗を活かすべきではないか?というのが個人的な考え。
失敗を嘆いてばかりいても仕方がない。
その失敗を次に活かすのが大切ではないか?
なんて、もはや言い古されすぎた言葉だけど。
