
思ったことをつらつらと。
尊敬する時
その人を素晴らしいと感じた時に、人は尊敬の念が生まれる気がする。
で、尊敬とは、崇め奉ることではなくて、目標的な意味が含まれているんじゃないかなと。
例えば、師匠。
目指すべき目標でもあり、尊敬の対象でもある。
これはわかりやすい例かなと。
その人のようになりたいというのは、尊敬の中に含まれている気がする。
尊敬の根源は他者から承認されたいという欲求
その尊敬の根源は、その人と話したい、理解したい、理解してほしいなのかなと。
それらは、まとめると承認されたいということなのかもしれない。
逆に、尊敬されたいというのも、同じような感じもする。
他者から承認されたいという欲求という意味で。
このあたりはもう少し深く掘り下げた方が良い気がする。
同化したいのか、近づきたいのか、成り代わりたいのか。
ただ、承認されることで、自分のポジションが明確になるというのはある。
そう考えると、自分のポジションが明確になることが、承認なのかも。
人間関係は理解
すべてにおいて、「理解」が関係していそうな気がした。
人間関係とは理解なのかもしれない。
ただ、「お前のことをわかっている」というのは違う気がする。
このあたりの切り分けというか、もう少し細かいところを考えたい。
好きと尊敬は表裏一体
その人が好きであることと、その人の能力が高いということの間には境界線が無い。
尊敬しているから好き。好きだから尊敬しているということ。
そして、尊敬しているからこそ、承認されたいという話。
他者からの承認の中でも、この尊敬している人からの承認というのは一番大きいのではないかなと。
だから、尊敬している人と話したい、理解したい、理解してほしいと思う。
なんか堂々巡りみたいな話だが、そこが密接に関わっているのではないか?と個人的には思っている。
ただ、これはあくまで自分の場合だけかもしれないけど。