宗教は同族殺しの正当化ではないか?

投稿者: | 2025年6月4日

思ったことをつらつらと。

宗教は同族殺しの正当化ではないか?

もしくは、他コミュニティの資源を奪うため、殴りにいくためのものではないか?

もしくは、味方を判別するための仕組みの可能性もありそうだ。

つまり、同じ宗教を信仰していれば仲間、していなければ敵。

でもそれは、言語というもので区切られている気がする。

そもそも言語の多様性は、自コミュニティと他コミュニティとの区別のためと考えられる。

つまり、他コミュニティから来た人間をいち早く知るための方法の1つ。

礼やマナーなどのルールもそうだと考えられる。

違いを認識することで、敵を判別する、異物を判別するという方法。

そうか、神に責任をなすりつけたいのか。

神がいるから、神によって自分たちはやらされていることにしたいという話。

自分たちに罪はない。

やはり他のコミュニティにを攻撃するための理由付け、正当化する口実のような気がする。

すべての人間に適用されるわけではないが、人間は権威に対して弱いという話がある。

例えば、xx大学の教授の言葉は重みがあるという感じ。

また、心理学の実験で、ミルグラムの電気ショック実験(通称アイヒマン実験)というのがある。

参考:ミルグラムの電気ショック実験 | 日本心理学会

具体的には、

権威(者)による命令が個人を従属させ,殺人のような重大な結果をもたらしかねないことをシミュレーションしたもの

です。

実験という名目があり、電気ショックのボタンを押すという役割を与えられると、相手が苦しんでいても(実際には演技)、実験を続けてしまうというもの。

さらに、この実験にはバリエーション的なものがあって、近くに権威のある人がいて命令しても、電気ショックを続けることがわかっている。

つまりだ、神という権威付けは、最強の言い訳になりうるということ。

それを誰かが発見したのか、それとも自然とそうなったのか、神のせいにすることで心が軽くなったからなのか、それはわからないが、少なくとも自分の意志ではないという言い訳ができると、人は残虐なこともできるという話。

これは人間の本性が残虐というわけでない点に注意が必要だ。

状況というか、環境が整うと、人は自分の意志に反して行動してしまうという話。

そして、その状況や環境として、宗教が使われたのでは?というのが個人的推測。

まあ、証明しようがないけれど。


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