
思ったことをつらつらと。
宗教は同族殺しの正当化ではないか?
もしくは、他コミュニティの資源を奪うため、殴りにいくためのものではないか?
もしくは、味方を判別するための仕組みの可能性もありそうだ。
つまり、同じ宗教を信仰していれば仲間、していなければ敵。
でもそれは、言語というもので区切られている気がする。
そもそも言語の多様性は、自コミュニティと他コミュニティとの区別のためと考えられる。
つまり、他コミュニティから来た人間をいち早く知るための方法の1つ。
礼やマナーなどのルールもそうだと考えられる。
違いを認識することで、敵を判別する、異物を判別するという方法。
そうか、神に責任をなすりつけたいのか。
神がいるから、神によって自分たちはやらされていることにしたいという話。
自分たちに罪はない。
やはり他のコミュニティにを攻撃するための理由付け、正当化する口実のような気がする。
すべての人間に適用されるわけではないが、人間は権威に対して弱いという話がある。
例えば、xx大学の教授の言葉は重みがあるという感じ。
また、心理学の実験で、ミルグラムの電気ショック実験(通称アイヒマン実験)というのがある。
具体的には、
権威(者)による命令が個人を従属させ,殺人のような重大な結果をもたらしかねないことをシミュレーションしたもの
です。
実験という名目があり、電気ショックのボタンを押すという役割を与えられると、相手が苦しんでいても(実際には演技)、実験を続けてしまうというもの。
さらに、この実験にはバリエーション的なものがあって、近くに権威のある人がいて命令しても、電気ショックを続けることがわかっている。
つまりだ、神という権威付けは、最強の言い訳になりうるということ。
それを誰かが発見したのか、それとも自然とそうなったのか、神のせいにすることで心が軽くなったからなのか、それはわからないが、少なくとも自分の意志ではないという言い訳ができると、人は残虐なこともできるという話。
これは人間の本性が残虐というわけでない点に注意が必要だ。
状況というか、環境が整うと、人は自分の意志に反して行動してしまうという話。
そして、その状況や環境として、宗教が使われたのでは?というのが個人的推測。
まあ、証明しようがないけれど。