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あくまで個人的な考えです。
自分の思考を拡張してくれる人を尊敬している
今、本当に心から尊敬している人います。
これまで出会った人の中でも、本当に素晴らしい人だなと。
知的なところとか、センスとか、振る舞いとか、受け答えとか、コミュニケーションとか、個人的な価値観から良いと思えるところがたくさんあって、自分の未熟さを痛感するばかり。
で、なんでそこまで自分は、その人を凄いと思うんだろうなあとぼんやりと考えていたときに、ふともしかして思考の拡張なんじゃないかなと思った次第。
思考の拡張というのは、自分に無い視点とか、考え方とか、そういうものを知ることができるということ。
自分は、その思考の拡張が楽しくて、嬉しいのかなって。
自分の思考を拡張してくれるから、尊敬しているんだろうなって思ったわけです。
自分にとっての思考の拡張は知識じゃない
これは表現が難しいのですが、単純に知識があることが、思考の拡張ではないんだよなあというが、自分が感じているところです。
単純にセンスと言って良いのかはわからないのですが、気づきを与えてくれる存在というか。
このあたり、もう少し深く掘ってみたいなとも思ったり。
ただ、1つだけ自分が感じるのは、話していて思考の拡張が起きないと、その人に対して、自分が興味や関心を持てないことだけは確かかなと。
自分の頭の中の世界が広がっていくイメージというか。
そういう感覚をずっと求めているような気がしています。
そして、自分の思考を拡張してくれる人って、意外と少ないというか。
やはり単純な知識ではないというのが、あるんだろうなと。
旺盛な好奇心なのかもしれないなとも思ったり。
というのも単純に思考の拡張って、相手から話を聞くだけじゃなくて、自分が話をすることでも起きると思ってるため。
だから、話を聞いてくれること、その姿勢というか、そういうのも大切なのかもしれないなと思ったりしました。
そう考えていくと、尊敬できる人って自分の人生において本当に稀有な存在なんだなあと改めて感じました。