世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論 – 相互作用なくして、属性なし。

投稿者: | 2024年9月3日

評価・レビュー

☆4/5

時間は存在しないが非常に面白かったカルロ・ロヴェッリ氏の著書。

基本的なスタンスと言うか、考え方は一緒で、カルロ・ロヴェッリ氏が研究しているループ量子重力理論から、世界は粒と粒の関係性で出来ていて、それを世界に適用していくという感じ。

理解が及んでいるかどうかはわからないけれど、個人的な理解としては、世界のあらゆる物は単体ではなくて、相対的であって、相関していて、その関係性こそが重要というか、存在そのものという話かなと。

つまり、単体で存在することは無いという話。

これまでの考え方というのは、点を起点に考えていたけれど、点と点を結ぶノードがキモで、それが関係性であり、相対性という感じかな。

そして、世界を構成しているのは、主観でも無く、客観でも無く、相関であるみたいな。

うーん、うまく表現できているかはわかりませんが・・・。

個人的にですが、自分自身が世界の価値観の中心ではなくて、自分と相手との関係性が中心という風に捉えました。

内容の前半は、ループ量子重力理論に至るまでの物理学の系譜というか、シュレーディンガーなどの歴史読み物的な感じで、後半に著者の世界の捉え方が紹介されるという流れ。

ジャンルとしては物理学の本ではありますが、ほとんど数式も出てこないし、文章で表現されているので、読みやすさはあります。

ただ、全体的にぼんやり感がある印象。あくまで、前作の「時間は存在しない」に比べると、より文学的になっているというか、哲学的になっているように感じました。

もしかするとこれは、本の主体が関係性にあるからかもしれません。

前作の場合には、時間とは何か?という軸がありましたが、本作は世界は相互作用でできていて、じゃあ相互作用は一体どうやって起きているのか?という点には、あまり触れていないからかもしれません。

つまり、関係性とは何か?というのが、明確に示されているわけではないという話。

関係性とは情報ではあるのですが、その情報がどうやって生まれ、何に起因するのか?というのが、ズバッと結論付けられていないということです。

正確に言えば、そこがわかっていないというのが現状かなと。

つまり、世界は関係性でできていると考えられるが、その関係性がどうやって生まれ、何に起因するのかはわかっていないということです。

関係性は次元を越えた繋がりなのか、関係性の相互作用は同時なのか、それとも時間がかかるのか、情報が伝わっているのか、伝わっているとしたら何が伝わっているのか、例えば地球のとある素粒子とアンドロメダ銀河のどこかにある素粒子の関係性はどうなっているのかなどなど、個人的には本書を読みながら、疑問がいろいろと湧いて来てしまいました。

という感じで、前作に比べるとモヤッとしてしまって☆4です。

前半の量子力学に関する歴史読み物としては非常に面白く、世界は関係性であるという内容を理解できなかったとしても、前半部分だけでも価値のある本だと思います。

個人的には様々な物理学者たちの姿をいろいろと知ることができて、それだけでかなり満足できました。

個人的メモ

以下は本書から引用しつつ個人的なメモ。

「確かに、競争馬と暮らすよりカナリアと暮らすほうが楽なのでしょうが、わたしは競争馬を好みます」

シュレーディンガーの妻 アニーの言葉。シュレーディンガーには愛人がいて、スキャンダルに巻き込まれた時に述べた言葉だそうで、個人的にはいろいろと感じるところがありました。

単純に

対象物が相互作用していないときにもその属性が備わっていると考えることは余計であって、誤った印象を与えかねない、というのだ。なぜなら、存在しないものについて語ることになるから。相互作用なくして、属性なし。

世界は関係でできているという本書のタイトルを表している内容の1つかなと思います。その少し後に、

すべてのものが、何か別のものへの作用の仕方だけで成り立っているというに等しい。電子がいっさい相互作用をしていないとき、その電子には物理的属性がない。位置もなければ、速度もないのだ。

という文章があって、個人的な解釈としては、絶対的な位置や絶対的な速度が存在しないということかなと。

これが単体として存在し得ないという意味だと思っています。

本書のテーマとはちょっと違いますが、個人的に

脳は、すでに知っていることや以前起きたことにもとづいて、見えそうなものを予期しているのだ。目に映るはずのものを予測してその像を作る。その情報がいくつかの段階を経て、脳から目に送られる。そして、脳が予見したものと目に届いている光に違いがあると、その場合に限って、ニューロンの回路が脳に向けて信号を送る。つまり、自分たちのまわりからの像が目から脳へと向かうのではなく、脳の予測と違っていたものだけが脳に知らされるのだ。

という話はとても興味深かったです。

普段生活していて、ふと反応する時って、何かが動いた時な気がしています。

つまり、脳が予測した情報とは違うことが発生した時に脳が反応しているという話は、結構すんなり受け入れられるなと。

また、コンピュータによる映像処理というのは、現代のコンピュータでもかなり処理が大変です。

それをサクサク処理している人間の脳はすごいという話でもあるのですが、そもそも論として先に予測した状態で見ているとすると、コンピュータの映像処理とは根本的に処理の仕方が違います。

同じようなことをコンピュータでも実現したら、映像処理がもっと早くなるかもしれないなと思いました。

まあ、同じことを実現するには、まずコンピュータに膨大な映像情報を蓄積する必要があるので、それはそれで大変なのですが。

ただ、現代の映像系に関するAIというのは、脳と近い処理をしようとしているようにも思いました。

最後にダーウィンの進化論の話から、人間の目や耳などの構造の機能は、構造の目的ではなくて、構造が存在するからこそ、生命体が生きられるという話の流れで、

生きるために愛するのではなく、愛するから生きているのだ。

と綴るのは、ある意味物理学者の方から出てくるような言葉ではないなあと。これがカルロ・ロヴェッリ氏的でもあって、カルロ・ロヴェッリ氏の本の面白いところだと個人的に思っています。

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