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どんな行動も目的を設定している
他の人はどうか知らないけれど、自分の場合には、基本的にどんな物事も目的を持って行動している。
怠惰に過ごすときでも、それは同様。
まあ、毎回そういうわけではないけれど、脳を休めるためという目的で怠惰に過ごすことの方が多い。
目的の達成のために時間を投入する
だから、目的を達せられるかどうかで、リソースを配分する。
リソースの中で、一番重要なのは時間。
他のリソースは代替したりすることができるけど、時間だけは短縮はできてもゼロにはできない。
AIがどれほど発達したとて、仕事が効率化されたとて、投入する時間をゼロにはできないのだ。
だから、時間を何に使うかというのは、とても大切。
若い時は、正直、時間が無限にあるように思えて、いろいろなことに使っていたけど、歳をとって棺桶に片足を突っ込んでみると、時間の大切さに気づく。というか、自分は気づいた。
最初に述べたように、自分は目的達成のために行動している。
だから、目的が達成できないことがわかれば、その行動には意味はなく、時間を投入することはできないという結論。
迷ったり、悩んだりすることがあって、時間を投入し続けてしまうことはあるけど、目的達成が不可であれば、時間の投入はしない。
これが基本的なスタンス。
投入した時間は戻ってこないから
いわゆる、心理学で言うところのサンクコスト効果で、投入したリソース、ここでは主に時間が多ければ多いほど、それを取り戻そうとして、固執してしまうことがある。
ただ、目的を達成できないことがわかったのであれば、損切りするしかない。
とてもドライな考え方かもしれないけれど、でも、それはずっと損失を出し続けることになるからだ。
そこから得られるのものは、失敗したということ、失敗し続けているという教訓しかない。
それ以上でも、それ以下でもないのだ。
だから、時間の投入をやめるしかない。
使った時間はどうやっても戻ってこないし、目的達成ができないことがわかれば、今後投入する時間に対してもリターンが無い。
ただ、疲弊していくだけ。
そういう人生も悪くはない。そういう生き方もあるし、価値観もある。
でも、自分の場合は、そうじゃないってだけ。
目的が達成できるかどうかを明確にする
自分の話だけど、この2ヶ月ぐらい、ずっと悩んでいることがあった。
時間を投入し続けるべきなのか、どうかと。
だから、目的が達成できる可能性があるのかどうかを確かめた。
結果として、目的は達成できる可能性がゼロであることがわかったので、時間の投入をやめるという決断をした。
その決断はとても大きな痛みで、自分の中では辛いことではあったけれど。
ただ、目的が達成できないのに時間を投入し続けたら、その先は絶望しか無い。
精神的にも落ち続ける。
だって、失敗が確約されているのに、頑張らないといけないからだ。
これほど辛いことはないし、虚しいことはない。
たとえ世界が終わっても、新しい世界が始まると思うしかないのだ
時間の投入をやめるという決断をしたことで、僕の世界は一度終わった。
想定したこととはいえ、精神的なダメージは大きく、当面、立ち直るのは難しいだろうなと思う。
一生立ち直ることができないかもしれない。
でも、このまま時間を投入し続けたら、僕は完全に壊れてしまうし、もっと時間を投入してから、目的が達成できないことに気づいたら、もっと酷いことになっていただろうなとも思う。
本当はもう少し傷が浅いうちが良かったんだけど、人間というのは感情の生き物で、自分の感情に大きく流されて、わかっていたけど見ないようにしていた。
だから、すべては自分の責任なのだ。
この精神的なダメージも、世界が終わってしまったことも。
でも、それでも、やっぱり目的が達成できるかどうかは、確認しないとだめなのだ。
たとえ世界が終わっても、新しい世界が始まると思うしかないのだ。
新しい世界が始まるかどうかは、わからないけど、始まると思うしかない。
そうじゃないと、きっともう、生きる意味は無いから。