評価
☆4/5
ジャンルとしてはホラーサスペンスなのかな。とにかく、気持ち悪い雰囲気が特徴の作品。本作では奇妙な町としてのディストピアが表現されていますが、なんとなくリアルに近いところもあって、薄ら寒さを感じました。
そういう意味では、観る人をかなり選ぶ映画。話はかなり淡々と進みますし、山谷的なものもほとんど無いので、たぶん本作を見ても何も感じず、つまらない映画と思う人も結構いるかなという印象です。
また予算が足りなかったのか、町の世界観のところはチープさを感じてしまいますが、世界観や設定は抜群に良かったと思います。ディストピア系の作品が好きなら、かなりおすすめ。
話としては
借金で首が回らなくなり、借金取りに追われていた蒼山哲也(中村倫也)は、謎の黄色いつなぎを着た男に助けられ、謎の町の住人となる。その町では皆がデュードと呼ばれており、ネットへの書き込みや誰か別人の投票などの簡単な仕事と引き換えに衣食住が保証され、お互いの了承が取れればセックスもできた。そんな町へ妹 末永緑(立花恵理)を探しに木村紅子(石橋静河)が来るのだが・・・。
ネタバレあり感想:タイトルの人数という表現が絶妙
個人的にタイトルの「人数」という表現が本作のテーマかなと思います。
本作では町の人たちはデュードと呼ばれ、すべて同じように扱われています。貧富の差的なものはほとんど無く、簡単な仕事に対して報酬があり、性生活も享受でき、ある意味、平等な社会と言えるかもしれません。
その対価として、デュードたちは名前を奪われるだけでなく、戸籍も存在しなくなります。まあ、町で生活していく分にはまったく必要が無いので、困ることはなく、ある意味楽園と言っても良いのかもしれませんね。これは個を無くすという意味で、それが人数という言葉に繋がっていきます。
荒木伸二監督は、制作にあたって
「人間が『人数』に変わる時、私は怖さを感じる。人が名前を奪われてどんどん塊になっていくと怖くて仕方がないという感じが幼少期からあるので、例えば多数決は大嫌い。現代では、SNSでのいいねの数だったり、人間がどんどん『人数』になっていることが怖い」
人数の町 – Wikipedia
と述べています。まあ、SNSだと数値として可視化されたのでわかりやすいですが、現代に限らず人を人間として捉えず、数として捉えるという風潮というか、歴史を振り返れば為政者や経営者の中には人を数としてしか考えていない人も多いのが実情ではあります。
そういう意味では昔からこういうディストピア的な感覚というのはあったのだろうなと個人的には思っています。
最近の例では、例えば「女性は子どもを生む機械」と発言した人がいたような気がしましたが、いわゆるそういうことです。
監督はSNSを悪く捉えていますが、Youtuberやインフルエンサーなどの登場によって、個人的には昔に比べると個人にフォーカスされる時代に変化していると思います。ただ、一方で個性を出せない人にとっては生きづらくなっていく世の中になりつつあるのも事実です。そのあたりをどう考えるかはそれぞれの問題なのかもしれませんが。
デュードは誰か?
このあたりって、とても難しい問題でもあるかなと。世界のどこかで貧困で亡くなっている人が多数いたとしても、自分たちは名前も知ることはないし、意識もしないわけです。
つまり、認識できなければ存在しないのと一緒かなと。
かといって、全てを知ることは現実的に難しく、ことの重大さを知るのにx万人といった数字で判断しがちです。リアルに苦しんでいる人が目の前にいないと、イメージしにくいとも言えます。
何が言いたかったかというと、自分たち自身も存在しているリアルな人を知ること無く人数という概念で物事を捉えているという話。
本作で表現されている町の人々 デュードは自分たち自身でもあり、外の世界の人たちでもあるということです。
自由は得られたのか?
ラストで主人公はデュードを管理するチューターになり、自由を得たというようなセリフがありますが、それは果たして自由と言えるのかは、見る人によっても変わるのかなと思いました。
個人的には結局大きな仕組みの1つになったわけで、それは自由なのか?と言われると疑問です。
確かにやれることは増えたのかもしれません。しかし、囚われていることに違いはないのかなと。
例えば会社。平社員と課長ではできる仕事の幅が違います。権限も違いますからね。ただ、会社という仕組みの中では変わらんわけです。そして、その仕組みからは抜け出すことができなかったというのがラストの意味なのかなと個人的には思いました。