ジョン・スチュアート・ミルの自由論からの引用。
人間は自分の誤りを自分で改めることができる。知的で道徳的な存在である人間の、すべての美点の源泉がそこにある。
自由論 (光文社古典新訳文庫)
これは耳に痛いですね。
最近、デマを流したり、間違った情報を流しても、一切謝罪しないという風潮が当たり前になりつつあります。
謝罪するのはNGという考え方が広まっているからですね。
まあ、ビジネス的な話でわからなくも無いのですが、個人的にはそれが良い社会なのかな?とは思います。
またミルの言葉が正しければ、誤りを認めない人はそもそも人間では無いという話でもあるかなと。
ただ、知的や道徳的、美点というのは、謝罪をしない人にとってはどうでも良いことなのかも。
知的や道徳的、美点じゃお金を儲けられないですから。そこがもしかしたら、人間の限界なのかもしれないなと思ったり。
謝罪が認められる社会に
これは個人的にですが、もっと謝罪が認められる社会の方が良いんじゃないかなあと。
謝って許されないこともあるでしょうが、ただ、まったく謝らない社会というのも、どうなんでしょうね。
例えば、今の日本の政治はかなりおかしな方向に進んでいるように思います。
一部の人間たちが権力を濫用し当事者無視の法律を作ったり、条例を作ったりしていて、中には条例を通すために虚偽の情報を出していた例もありました。
政治家や官僚たちはなぜそこまで躍起になっているのかと言えば、そこに利権が生まれますし、天下り先も作ったりできるから。
それが負の連鎖になっていている印象です。
また、法律が成立後に事件が起きても素知らぬ顔。自分たちは法律を作るだけで、その後は知りませんという状態。
間違っていたことを一切認めません。
そんなことがどんどん積み重なっていって、日本は失われた20年を作ってしまった。それが今も続いているようにも思えます。
謝罪して再出発が良い気がしているけど
増税についても、元々もの試算が甘かったことから。であれば、政府が責任を取るべきなのですが、国民に責任があると宣う首相。後から言葉を撤回しましたが、本音だろうなと。
自分たちは悪くない。搾取される国民が悪いんだという認識だと思います。
だって、自分たちの誤りを認めるのはNGですから。
じゃなくて、一旦ここらでこれまでのやり方は失敗だったと認め、謝罪して新たに構築し直すのが良いんじゃないかなあとは思います。
どんどん雁字搦めになってきていて、スパゲッティコードじゃないけど、修繕では手の施しようが無い気もしているので。
ただ、これをやってしまうと、今の政治家や官僚の人たちは儲けられなくなるので、やらないでしょうけど。
結局そこに行き着くんだよなあと。
日本でも暴動が起きる可能性はある
利権構造の破壊が必須なのですが、利権構造を破壊するための仕組みが存在してないんですよね。
結局、海外だと革命とかになっちゃうわけで。
最近は物価上昇が半端なくて、さらに増税して、国民を苦しめることが至上命題と思っている政治家や官僚が多くて、正直いつ日本国民の怒りが爆発するのか、秒読み段階な気もしています。
昭和の日本だったら、そんなことは起きにくかったんですよね。
総中流社会だったので、横並び意識も強いですし、みんなそれなりに収入もあったので。
しかし、二極化社会になったことで、総中流の人たちが落ちてきて、生活が厳しい人がどんどん増えてきています。
これらの人々が団結したら、かなりの力になるだろうなと。
以前はSNSなどがありませんでしたから、人と人が繋がるのに時間がかかりました。しかし、SNSの発達で、一旦火が付いたら一気に広がる可能性があります。
そのあたりの感覚も、政治家や官僚は無いだろうなと。自分たちは潤っている側なので、国民の生活が今どんな状態なのかなんて知らないでしょう。
そして暴動が起きてから謝罪しても遅いんですよね。
正直、謝罪して一旦リセットするのが今のタイミングじゃないかなあと。
または一時的な給付金じゃなくて、ベーシックインカムのようなシステムで対処するという方法もありますが、少なくとも今の政治家や官僚は国民から搾取することしか考えていないので、難しいかなという印象。
なので、このまま行くとどこかで爆発しそうな気がしています。
世界情勢的にも不安定になってきていますし、そういうのって他の国にも伝染しますからね。
政治家や官僚の方々には、しっかりした判断をしてもらいたいところです。