
選挙が近くなると「なぜ、選挙に行く必要があるのか?」という話が出てくる。
義務だとか、権利だとかいろいろな意見があるが、個人的にはもっとシンプルに考えている。
目次
「ご飯何食べる?」の視点から考える「なぜ、選挙に行く必要があるのか?」
具体的には、友達を遊んだ帰り、一緒に夕飯を食べることになったとしよう。
「ご飯何食べる?」と友人に聞いたところ「何でも良いよ」と答えた。
そこで、ハンバーグのお店にしたら、「もっとさっぱりしたのが良かった」と言われる。
皆はどう考えるだろうか?
なら、さっぱりしたものが食べたいって言えよって思うだろう。
選挙も基本的には一緒だと思っている。
選挙に行かないというのは、「何でも良いよ」と言うのと一緒ということだ。
なので、どうなっても良ければ、選挙に行く必要はないと個人的に思っている。
ハンバーグが食べたいと言ったのに、ラーメン店に連れて行かれたら、皆はどう考えるだろうか?
おいおい、ハンバーグ食いたいって言ったじゃん!と文句を言うだろう。
文句を言うことが、問題だ!と思う人はいないのではないだろうか。
これが、政治に文句を言うということである。
政治に文句が言いたければ、選挙で投票するしかない。
選挙とは
選挙とは、国に対して自分の意見を表明するための仕組みと言える。
もし、夕飯に皆で行くことになったのに、自分だけ意見を聞かれなかったら嫌だろう。
だから、投票権が与えられている。
ただ、国の選挙というのは、言ってしまえば、1億人で夕飯を食べにいくことであり、そう考えれば、自分の意見が採用されにくいというのは、理解にかたくない。
また、1億人の意見を常に聞いていては非効率なので、その代理人として政治家を立てているといえる。
そして、食べたいものは何?と聞いても、何も答えない人には、意見を聞かなくなってしまうのも、夕飯の例から考えれば、わかりやすいだろう。
政治とは、政治家とは
政治の本質も一緒だ。
まず、政治家というのは、皆の晩飯の意見を聞き、お店を決める人である。
例えば、4人でご飯に行くとしよう。
政治家にあたる人間が残り3人の意見を聞く。
ラーメンが食べたい、こってりしたのが良いな、お酒も飲みたいよ、という意見があったとしよう。
であれば、中華料理店が良さそうだというわけである。
で、中華料理店を探してみんなを連れて行くのだ。
政治家とは、様々な意見をとりまとめ、できる限り皆の要望を満たすように考え、行動する人なのである。
そして、政治とは、皆の要望を満たすように交渉することである。
言ってしまえば、国会議員というのは、全国の夕飯はこれが良いという意見を取りまとめ、国会という場で、夕飯を何にするか、議論する場、決定する場と言える。
政治家、または政治のアップデートが求められている
現代の政治で難しいのは、各人の意見が多様になったことである。
昔は、優先度の高い要望がある程度一致していた。
例えば、道路とかがわかりやすい。
高速道路がひかれるというのは、その地域に住む住人のほとんどに恩恵があった。
だから、道路族が生まれ、そして、高速道路がひかれれば、政治家さまさまというわけである。
しかし、現代においては、その要望が多様化している。
そのため、より多くの人を満たすような施策が、わかりにくくなってしまった。
そして、多様なニーズに対して、政治家が旧来のやり方のままであるため、不一致が生じる。
その不一致とは、いわゆる声の大きい人や組織の要望を採用したり、献金されている人や組織の要望を採用し、それを施策にしたことで、それ以外の人や組織と乖離が起きているということである。
昔は、少数の人の意見であっても、結果、その大勢の人との利害が一致しやすかった。
それが現代では、一致しなくなったのである。
昭和時代の政治のやり方では、どうやっても不満が出てしまう。
だから、政治家のアップデート、または政治のアップデートが必要な時期に来ていると言える。
政治家の役割の一部をAIに
政治家や政治のアップデートというのは、なかなかに難しい問題である。
多様化した要望を、一人の人間が処理するのが、難しくなっているからだ。
世の中は、圧倒的な情報量に溢れている。
もはや人間では無理だと自分は考えている。
そこで、AIの活用だ。
AIによって、日本国民の要望を集め、それを分析、まとめてもらうのである。
政治家は、AIから上がってきた情報を元に政策を決めるというわけ。
このシステムの良い点は、声が大きかったり、献金したりした人や組織の意見が採用されるわけではないということ。
そういう意味では、民主主義自体のアップデート、いや、そもそも現状が民主主義として機能していないとするなら、より民主主義に近づくと言った方がよいかもしれない。
政治家が不要というのではない。
役割が変化すると言った方が良いだろう。
AIであれば、少数意見を取りこぼすこともない。
なぜなら、分析・整理の段階で、少数意見を別途取り出して出力するということもできるからだ。
これは人間には難しい。
また、AIによる出力が全国民に開示されれば、なぜ、政治家がそのような決断をしたかが理解しやすくなるとも言える。
現状、そこがブラックボックスになっていることが問題だと個人的には思っている。
それらをオープンにすることで、少なくとも政治家にすり寄って、意見を曲げさせようとする人は減るだろう。
なぜなら、AIの出力とはまったく異なる、無理やりな政策を出せば、国民から反感を買うからだ。
政治家はAIにできるか?
それなら、政治家もAIに任せれば?という意見もある。
個人的には、それも面白いと思うし、試してみる価値はあると思う。
ただ、現状では、現実的ではない。
その理由は納得感だ。
選挙のところで書いたが、AIにすべて任せてしまうと文句を言う場所が無くなってしまう。
また、AIのロジックにもよるが、ばっさりと少数を切り捨てるような政策を実行しかねない。
もちろん、社会全体としてプラスになるのだろうが、ばっさり切られた人間はたまったものではないだろう。
そうならないようにするのが、政治家の仕事になると思う。
というか、現状でも政治家の役割はそうなのだ。
ただ、国民の意見が届いていない。
そこが問題なのである。
そして、1億人の意見を聞いてまわるのは、昔はできなかった。
しかし、ITとAIの発達によって、今はそれができるところまで来ている。
本来あるべき民主主義を取り戻し、新しい時代をつくれるかは、結局、人間にかかっている。
ところが、その決断をすべき政治家が、ずっと昭和のままなのだ。
そこが改善されないかぎり、本来の民主主義は、当分実現しないだろう。
その意味で、政治家のアップデートが必要なのだろうなとは思う。
