評価・レビュー
☆5/5
田舎の村で希望を失くしていた少年 江都日向は、身体が徐々に金塊に変わる”金塊病”の患者を収容しているサナトリウムの患者 女子大生 都村弥子と偶然出会い、都村弥子から自身の身体を賭けたチェッカー勝負を挑まれることになる。都村弥子が全身金塊になって亡くなると、その総額は3億。江都日向は3億自体よりも、都村弥子への興味からサナトリウムへ通い、チェッカー勝負をしていく中で徐々に都村弥子に惹かれていくのだが、都村弥子の病は進行し続けていくのだった・・・。
みたいなお話。
若かりし頃の恋愛に対する純粋で猛る思いが蘇ってくるような感覚があって、とても良かったです。
わかりやすいテーマとしては、3億のお金と好きな気持ちの両天秤。
単純にお金が欲しいというよりは、閉塞感のある毎日、そして暗い未来しか見えない自分の人生を変えるためにお金があればという内容で、様々な環境が主人公を追い詰めていくというか、困惑させる要素になっています。
他にも江都日向を惑わせる要素がいろいろとあって、思春期というか、若い時特有の悩みがいろいろとてんこ盛りで出てくる感じです。
自分は結構年齢がいっているのもあって、ノスタルジックな感じで読めました。
またもう1つのテーマとしては、生と死かなと。この先に生が残されている者と、死が約束されている者の対比であり、恋愛でありみたいな。
個人的にはさらに別なテーマというか、タイトルに疑問があって(ネタバレあり後述)、そう考えるとかなり深い作品だなあと思いました。
以下は本書から引用しながら、個人的に思ったことなどのメモ。
今流通している金はその星の忘れ形見
「この地球上に存在する金は、寿命を迎えた恒星が地球へと衝突することで出来たと言われている。今流通している金はその星の忘れ形見だけを使ってるんだってさ」
斜線堂 有紀. 夏の終わりに君が死ねば完璧だったから (メディアワークス文庫)
忘れ形見という表現が個人的に好き。
五十二ヘルツの鯨は、世界で一番孤独な鯨なんだ
「五十二ヘルツの鯨って知ってるかな」 鯨に触れながら、弥子さんがそう尋ねてきた。 「知らないです」 「その名の通り、五十二ヘルツで鳴く鯨のことなんだ。五十二ヘルツっていうのは他の鯨の鳴き声よりも、ずっと高い周波数でね。この周波数で鳴く鯨はこの世にその一頭しか存在しないから、その鯨は他の鯨と交われない。声がね、聞こえないから。五十二ヘルツの鯨は、世界で一番孤独な鯨なんだ」
斜線堂 有紀. 夏の終わりに君が死ねば完璧だったから (メディアワークス文庫)
五十二ヘルツの鯨というのは、単純に比喩的なもので、実際には声にならない声というのを表現しているのかなとか。
例えば、いじめに会った子どもがヘルプのサインを出していても、周りはそれに気付けないという話。
ちゃんと周りに通じる言葉で発信しないと、孤独になってしまうというわけです。
脳内で考えていることがわかるような機械の精度が高まってくれば、脳内の叫びが周りで把握しやすくなるかもなあとか。
また、話が通じないという時っていうのがあって、個人的にはそういう状況をふと思い出したりしました。
例えば、ビートマニアってゲームが昔あったんですが、リリース当初、マジで面白くて、みんなに説明したんですけど、そもそもゲーセン自体が下火になりつつあって、さらに1回のプレイ料金が高いこともあって、誰も耳を貸してくれなかったんですよね。
この当時は非常に孤独だったなあと。
で、自分は辞めてしまったのですが、その後にビートマニアブームが来て、一気に音ゲーというジャンルが確立され、友人もこぞってビートマニアやっているのをみて、少し寂しい気持ちになったことを今でも思い出します。
まあ、自分はっ結構新しいゲームとかはとりあえずやってみる人なので、クソみたいなゲームもいろいろとあったから、仕方ないのかもしれないですけど。
失われたものの方がずっと魅力的
失われたものの方がずっと魅力的だからだ。世の中の愛着にはそういうタイプのものが確実に存在する。 そして、その事実は酷い毒になって僕を蝕む。
斜線堂 有紀. 夏の終わりに君が死ねば完璧だったから (メディアワークス文庫)
確かに失ったものというのは、魅力的というか、心惹かれるというのはあるなと思いました。
ただ、失ったものに対して執着している自分に酔っているという説もあるかなと。
逆に執着することで、自身の思いの強さを正当化しようとしているフシもありそうかなとか。
悲しみに暮れるのも同じような感覚が個人的にはあります。
自分自身の選択や行動、考えが間違っていなかったことを証明しようとしているというか。
それは論理的な思考を経ての証明というよりは、本能に近い部分に根っこがありそうな気がしています。個人的にですが。
タイトルの意味(以下ネタバレあり)
最後に、本書を読み終わった時に個人的に感じたことを書いていきます。
具体的には、タイトル「夏の終わりに君が死ねば完璧だったから」は誰の言葉なのか?という点。
本作の主人公は江都日向です。
であれば、江都日向の言葉と考えるのが、正道というか、普通かなと。
ただ、都村弥子は亡くなっているので、「君が死ねば」というのは、表現として正しくありません。
また、海に行って一緒に死のうとしますが、結局二人とも死ぬことができませんでした。
だから、その時に二人一緒に死ねば完璧だったという可能性もあります。
しかし、君と二人称にしている点が気になるのと、都村弥子が亡くなった後、江都日向は村を出て働く、つまり未来を見て歩き始めているのも奇妙です。
どういうことかというと、完璧だったら、それ以降は完璧じゃない人生というか、そこから先は下り坂で未来が暗いはずなのに、前向きに歩み始めています。
そう考えると、「夏の終わりに君が死ねば完璧だったから」は江都日向の言葉ではないのかもと思いました。
そうすると、残っている登場人物で有力なのは、都村弥子かなと。
もし、都村弥子の言葉であったとしたならば、「夏の終わりに江都日向が死ねば完璧だったのに」という意味になります。
海に落ちたシーンの後で、二人は笑っていますが、果たして都村弥子の笑いは、どういう意味があったのか。
単純に助かって良かった的なことなのか、それとも、自らの願望、つまり江都日向が一緒に死んで欲しいという恐ろしい願望が達成されなかったことに対する安堵的なものなのか。
笑っているけれど、江都日向に抱きしめられて震えていたという描写があるので、その震えは単純に笑っていることの震えというのが普通の捉え方ですが、もし上記が正しい推理ならば自らの恐ろしい願望に対する恐れに震えていたとも言えます。
私はなんてことを考えてしまっていたのだろう的な。
そんな風に考えると、本作は単純な青春純愛ファンタジーではなくて、ホラー的な要素というか、人間の後ろ暗さみたいなものが描かれている作品とも言えるかなと。
まあ、うがった見方かもしれませんが。
ちなみにファンタジーと表現したのは、”金塊病”が存在しない病というのと、それに関する科学的な説明が間違っていることもあったためです。
個人的にそのあたりはそもそも小説がフィクションでもあるので、評価としてはあまり気にしていません。
リンク
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- 書籍レビューまとめ | ネルログ