それは本当になりたかった自分なのか?

投稿者: | 2025年3月21日

思ったことをつらつらと。

どんな人間になりたかったのか?

最近、自分はどんな人間になりたかったのだろう?と思うことがあります。

一番は「嘘をつかない人間」かなあと。

まあ、人生において、まったく嘘をつかないというのは難しいですが、それでも結構実践できているなと思っています。

そう考えると、結構なりたい自分になれているかなと。

自分が嫌いだった人間になってしまうのは何故だろう?

自分が会社勤めをしていた時に、思っていたことなのですが、パワハラをする上司、部下に当たる上司というのは、一体何を考えているんだろうなあと。

というのも、その上司は、パワハラをする上司になりたかったのかなあって。

おそらくですけど、もっと自分が考える理想的な上司像ってのがあったんじゃないかなと思っています。

けれど、それが実現できていないんじゃないかなって。

実際、自分が初めて上司になったときは、本当にクソ上司で、今振り返ってみてもダメな上司だったなあと思います。

で、そういう人って多いんじゃないかなって。

なりたい自分になれるかは自分の選択と行動次第

自分の場合は、いろいろなことがあって、自分の行動を大きく変える選択をしました。

結果として、部署は非常に良く回るようになり、部署の空気も良くなりました。

風通しが良いとも言いますね。

結局、良い上司になれるかどうかは、誰でもない、自分の選択と行動で決まるという話。

で、それは上司だけでなくて、普段の自分もそうです。

嘘つき人間になりたいのか?

人を貶める人間になりたいのか?

悪意と憎悪にまみれた人間になりたいのか?

改めて、なりたい自分像と、今の自分の姿を比べてみるのが良いのかなと。

鏡を見て、今の自分がどんな状態なのか、一度考えてみるのも良い気がします。

友人の力を借りよう

現実はそんなに甘くない、やりたくてもできない、そういう声もあるでしょう。

でも、意外と行動してみると、周囲の反応は良いことが多いです。

というか、自分の場合はそうでした。

間違いを認め、自分が変わったことを行動で示すことが大切かなと思います。

自分だけで変化するのが難しければ、友人の力を借りるのが良いです。

自分も部下からの意見だけでは、自分を変えようと思いませんでした。

友人たちの言葉も自分を変える大きなきっかけになっています。

すべては相対的

いやいや自分は絶対的な価値観を持っていて、自分は間違っていないと思う人もいるでしょう。

確かに、社会に自分が1人しかいなければ、その考え方は正しいです。

しかし、我々が生きている社会は、自分以外にも沢山の人がいます。

そして、人の評価というのは、それらの多くの人たちの相対的価値によって決まるのです。

どれほど自分が悪くないと叫んでも、周囲の人すべて悪いという判断をすれば、悪いのは自分ということ。

法律はそういったこれまでの事案の積み重ね的なものと言えます。

大切なのは、自分に対する周囲の評価であって、自分による評価ではないのです。

だからこそ、本当に自分のことを考えてくれている友人の言葉には、ちゃんと耳を貸した方が良いでしょう。

まあ、往々にして、友人の声が届かないことの方が多いですが。

自分さえも疑う

これは自分のスタイルですが、自分自身すら疑ってかかることがあります。

自分が絶対的に正しいと考えてはいません。

ここで書いたことも正しいかどうかは、わかりません。

ただ、自分はそう考えていて、それを周囲の人たちがどう考えるかは、周囲の人たち次第。

で、間違っていればそれを修正するだけです。

結局、大切なのは、変わっていくこと。

固執や執着しないこと。

何かにこだわりすぎると、視野が狭くなり、いろいろなものが見えなくなります。

自分では正常だと思っていても、正常じゃないことの方が多いです。

というか、そもそも常にマトモな状態でいる人間っているんだろうか?とも思います。

私たちは神ではなく、人間ですからね。


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