
思ったことをつらつらと。
問題が解決しない理由は、問題を見誤っているからではないか?と思ったりした。
まず、そもそもそれが問題なのか?という話から考える必要がある。
大切なのは問題解決であって、その目的達成のための手段がいろいろとあるけれど、その手段を目的にしてしまうと、結局問題が解決しないということになる。
わかりやすいのは、人事評価。
数値化することで、評価を公平にするというのがあるが、そもそも数値化できないことの方が多い。
数値化できないことについては、新しい会議体を作ったりして対応するみたいな感じになる。
しかし、よくよく考えて見て欲しい。
従前の人事評価で何が問題だったのかを。
成果を上げているのに評価されないことが問題だったわけで、数値化することが目的ではないのだ。
数値化は手段。
しかし、数値化が先行し、わけのわからない数値目標がたくさん生まれてくる。
また評価を上げるために、あえて目標を低く設定する。
当たり前のことだ。
多くの社員が目標達成が目的になってしまっているのである。
そうじゃないだろうと。
本来の目的は、正当な評価だ。
従前の評価方法だったとしても、成果を上げているのに評価を貰えない人がいたら、人事部に気軽に言えるような環境を作った方が、健全じゃないのかということ。
自分が前に働いていた会社では、社員にかなり不平不満があった。
人事部はなぜこういう話を聞かないのか、上司は何で話を聞かないのか、謎だった。
しかし、数値化された評価方法においては、こういう話を聞くということ自体、評価されない。
だから、やらない。
結果、よく分からないが、何故かうちの部署は離職率が高いなんてことになる。
もっと部下を見る。もっと社員を見る。たったそれだけのことなのに、数値だけ見て判断している。
それが本当に正当な評価と言えるのだろうか。
結局これも、成果主義なんて言葉が流行って、それにのせられただけのその場しのぎの施策でしかない気もする。
何が言いたかったかというと、評価を正当に行えていないことが問題なんじゃなくて、社員とちゃんと向き合えていないことが問題なんじゃないの?ってこと。
数値とか目標とか、何でも良いんだけど、カタチにしてそれで評価してしまうと、人間の本質というか、その人個人が見えなくなってしまう。
それが結局正当な評価がされていないと思ってしまう原因ではないかなという話。
プロセスも評価するとか、そういう話じゃなくて、評価されるのは機械じゃなくて人間ってこと。
もっと言えば、家族とか、友人とか、恋人とか、評価する?って話。
もちろん、良い悪いってのはあるだろうけど、A〜Eみたいな評価をしますか?ってこと。
そんなことをしたら、家族だって友人だって恋人だって、みんな離れていくのは目に見えてる。
つまり、そういうことなのだ。