アラン 幸福論 (岩波文庫)を読んで『行動すること』について感じたことを、つらつらと書いていきます。
行動の力は思いのままに自己を正当化してしまう。
行動の力は思いのままに自己を正当化してしまう。
なぜなら、この力は心のあかりを消し去るからだ。
行動することが大切というのは、個人的にずっと考えていることです。何でもとりあえずチャレンジしてみようと。で、その結果、次どうするか?を考えるという感じ。
ただ、アランの指摘するように、行動することに重きを置きすぎると、行動することが目的になってしまって、心が失われてしまうなあとも思います。
大切なのは目的であって、行動することが目的ではないという話。
LGBTQが重要なのか?法案が重要なのか?
個人的に最近のニュースで一番悲しかったのはLGBTQ法案ですかね。
LGBTQの人たちも反対していたのに、なぜかLGBTQ法案は通ってしまいました。当事者たちが置き去りにされてしまった形です。
当然、LGBTQ法案を推している当事者の方たちもいたでしょう。ただ、全員ではないですし、むしろSNSなどでは反対する声の方が目立った印象です。
同じようなことがAV新法でもありましたね。
このようなことが起きてしまうと、まさにアランの言葉が心にずっしりとのしかかってくるなと。
これは個人的な推測ですが、LGBTQ法案にしろAV新法にしろ、最初のきっかけというのは、たぶん純粋にLGBTQの人たちを守りたいとか、被害女性を減らしたいということだと思っています。
このスタートラインが最初から利権とか、実績作りが目的だとしたら、すでにそれは人間の所業ではないので、そんなことは無いでしょう。
国会議員の方というのは、多くの場合、行動力が高い印象です。それはもしかすると、選挙のためなのかもしれませんが、少なくとも考えるだけではなく、行動することに重きを置いていることは確かかなと。
そして、行動すること、アランの言葉を借りれば、行動する力によって、自己を正当化してしまっているように思います。
つまり、反対があったとしても、行動することが正しい、行動することが目的になってしまっているというわけです。
例え当事者が反対していたとしても、行動することを最重要視しているのであれば、行動しないことの方が悪だからです。
その結果、きっかけとなった最初の心を失ってしまい、暴走に繋がっているのかもしれないなと思いました。
まあ、あくまで個人的な考えですが。
ただ、行動することは大切ですが、その行動に何かしら意見があった時には、一度立ち止まって初心に返ってみるのも大切かなと個人的には思いました。