
子ガチャは問題じゃ無い。
なぜなら、子どもが欲しいと、自分たちで生むことを決めたんだから。
しかし、親ガチャは子どもにはどうしようも無い。
親は選べないのである。
だから、生まれた子どもをシャッフルしてみるというのはどうだろうか?
これによって、親ガチャの不公平を排除するということである。
問題点としては、子どもに愛着を持てるのか?ということ。
言ってしまえば、血縁だから愛着を持てるという話だ。
しかし、里親という制度もある。
里親は、子どもたちに対して愛情を注いでいるのは間違いないだろう。
つまり、血縁でなければ、愛情が湧かないということはない。
たぶん、一番の問題は、シャッフルによって、子どもたちにどのような影響が出るかがわからないということだろう。
何か子どもたちに不利益になるような問題が発生した場合に、倫理的、人道的にシャッフルという制度を導入したことそのものが問題になる。
つまり、親ガチャを無くして子どもたちの権利を守るための公平性を担保しようとしたのに、子どもたちに不利益が発生してしまったら、本末転倒というわけである。
これでは意味がない。
そう考えると、シャッフルという制度自体は、考えることができても、実際には試すのが難しいのだろうなとは思う。
動物実験などである程度知見が得られたとしても、人間には社会があって、同じような結果になるとは言えない。
ただ、1つだけわかっていることはある。
それは、里親であっても子どもに愛情を注ぐことができるわけで、血縁だから愛着が湧くわけではないということだ。
もちろん、すべての人間がそうであるとは言わない。
しかし、大切なことは、私たちは血縁という呪縛に囚われすぎているのではないだろうか?ということだ。
血縁にこだわった結果、二世三世が跡をつぎ、崩壊した国は枚挙にいとまがない。
例外はあるが、歴史上、血縁が良い方向に働く例は少ないのだ。
であれば、我々は血縁という概念をそろそろ捨てても良いのではないだろうか?
これは、親子関係の再構築、または親子関係の拡張という考え方もできそうだ。
社会全体として、子どもを守り、親を大切にするということとも言える気がする。
それは儒教的な気もしてきたが、またそれは別途考えたいなと。
