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個人的に思ったことをつらつらと。正解とかはありません。
禁忌って理性が原因だと思ってたけど
禁忌(タブー)とは、「やってはいけないこと」です。
その基準は、道徳的にとか、倫理的に「やってはいけないこと」という認識が個人的にありました。
つまり、理性的なものに起因しているのかなと。
理性を超える衝動は本能では?
で、そういう禁忌を犯すのって、何がトリガーというか、何に突き動かされているのかなと、ふと思ったわけです。
だって、理性に制御されているなら、禁忌を犯すことはありません。
理性が無い、または理性が崩壊しているから、禁忌を犯すという意見もあるかなと。
しかし、理性が無かったら、そもそもそれが禁忌であることがわからないというか。
わかりやすく言えば、ルールを認識しているから、ルールを破ることに快感を覚えるわけで、ルールを認識していなければ、そういった快感は無いということ。
もっと具体的に言えば、不倫とか。
禁断の恋なんていうけど、それは不倫はいけないという道徳的、倫理的なものを認識しているから禁断なのであって、道徳的、倫理的なものが無い人間にとっては、そもそも禁断でも何でもないという話です。
禁忌を犯すのはDNAの仕組み?
つまり、何が言いたいかというと、「禁忌を犯すのは本能的なものであり、人間に備わった機能ではないか?」もっと言えば、DNAに刻まれた仕組みではないか?ということです。
AIの話 アイデアが生まれるのは人間の誤作動が原因かもで、人間というのは誤作動、つまり間違いを出力するもので、それがクリエイティビティなのでは?と書きました。
で、禁忌を犯すのも、人間の誤作動が原因なのではないか?という話。
というか、そもそも人間は間違いを犯す生き物として、DNAによって設計されている可能性が高いと個人的には思っています。
人間が間違いを犯すように設計された理由
DNAは多様性によって、ここまで繁栄というか、生き残ったシステムです。
これはあくまで推測ですが、その多様性という中に、間違いを犯すことが前提として含まれているということ。
正確には間違いを犯すのではなくて、単純にたくさんの可能性を試しているだけなんですけど。
だから、どれほど道徳や倫理を説いたとしても、そもそもそういうものに反発するような人が出現するようにDNAで設計されていたとすると、限界はどうしてもあるのかなと思います。
常識や慣習をぶち破る良い面もある
で、何か悪い面ばかり書いてるんですけど、そういうDNAの設計があるからこそ、常識とか慣習に縛られない、常識や慣習を変えるような、新しい考えとか価値観とか物事が生まれるのも事実。
前述したように、個人的には人間は間違いを犯し、それがクリエイティビティに繋がっていると考えているので、そことも整合性は合うのかなと。
だから、どうしたという話かもしれませんが、そういう考えを持つことで、変わった人、人とは違うことをする人というのが、実はとても大切な存在と思えるのかなという話。
異物を排除するのではなく、異物をどううまく社会の中で活かしていくかみたいな話でもあるかなと個人的には思っています。