本日はバレンタインデーです。
日本では女性から男性へチョコレートを渡す日でもありますが、海外では男性・女性限らず、愛や友情を祝福し、感謝を伝える日とのこと。
なので、今、自分が一番感謝している人へ、感謝の言葉を書こうと思いました。
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感謝している理由はたくさんあるのですが、「話を聞いてくれて、話をしてくれて、ありがとう」というのが一番です。
初めての体験
人生において初めての体験がありました。
それはメッセージをやり取りしている時に、泣いてしまったこと。
悲しくて泣いたわけではなくて、すごく嬉しくて、気づいたら泣いてたみたいな感じです。
自分でもビックリして、何で泣いてるんだろうなあって。
その時に、ああ、もう死んでも良いかなとか思ったり。
まあ、まだ死にたくは無いですけど、そのぐらい心が満たされたということです。
だから、「話を聞いてくれて、話をしてくれて、ありがとう」といつも思っています。
尊敬できる人
これまで様々な人に出会ってきて、尊敬できる人、素晴らしいなと思える人がたくさんいました。
ただ、今、自分の中では、最も尊敬できる人だなあと思っています。
尊敬できる点はいろいろとあるのですが、個人的に一番の理由は中庸ということ。
人間というのは、思想に偏りがあることが多いです。
どうやっても偏りが出てしまうものかなとも思っています。
その偏りをあまり感じないのです。
それを中庸と表現しました。一般的な中庸とは違うと思いますが。
興味の強さ
中庸というと悟り的な感じで、様々なことに興味が湧かなくなってしまうような印象があります。
けれど、逆にいろいろなことに興味はあって、行動力もあるんですよね。
話をたくさん聞いてもらえるのも、その興味の強さから来ていると思います。
で、聞いた話を受け止めつつも、そこに流されないというか。
流されない人って、基本的には軸がある人です。
この軸というのが曲者だと思っていて、ぶっちゃけて言えば、前述の偏りが軸になっていることがほどんど。
だから、偏りが無いのに流されないことが本当にすごいです。
非常に稀有な存在だと思っています。
そんな人に今まで出会ったことが無くて、出会えたこと自体が奇跡だなと。
それも感謝したい理由の1つです。
生き様が好きなのかもしれない
まあ、これは自分が外部から観測したもので、実際に心の中では、自分が書いたこととは違っている可能性もあるだろうなとは思っています。
ただ、少なくとも自分はそう感じているという話です。
ふと、今思ったのは、その生き様が好きなのかもしれないなあと。
知識がある、容姿が優れている、コミュニケーション能力が高い、料理ができる、お金がある・・・などなど、人を評価・判断する基準っていろいろとあります。
でも、価値観とか思想ではなくて考え方自体(センスと言ったほうが良いかも)とか、そういう生き方みたいなものって、評価・判断できないというか。
そもそも人の生き方を評価・判断すること自体がナンセンスだと自分は思っています。
言えることは好き嫌いしか無いのかなと。
だから、生き方が好きな人というのは、自分の人生にとって貴重な存在で、大切にしたいなとも思っています。
それも感謝したいことの1つです。