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疑問:なぜ優秀な人が昇進し管理職になるのか?
少し前から個人的に疑問に思っていることがあります。
会社組織において、
なぜ優秀な人が昇進し管理職になるのか?
という疑問です。
えっ何言っての?と思うかもしれません。
ただ、例えば野球などのスポーツでは名プレイヤーが必ずしも名監督にならないことは当たり前のように言われていますよね。
であるならば、優秀な部下が必ずしも優秀な上司(管理職)にならないのでは?と思うのです。
もちろん名プレイヤーが名監督になる例もあります。けれど、そうじゃない例の方が多くないですか?
個人的にはそれがが当たり前なのではないかなあと。
なぜならプレイヤーに求められる能力と監督に求められる能力が異なるからです。これは良く言われていることでもありますね。
同じように優秀な部下に求められる能力と優秀な上司に求められる能力も異なると思うのですが、自分の考え方って間違ってます?
個別最適と全体最適の違い
名プレイヤーや結果を出す優秀な部下というのは極論を言えば個別最適が得意な人と言えると思います。また、優秀な管理職というのは全体最適が得意というわけです。
つまり、営業職で言うなれば営業のやり方などが得意な人と、営業マンの最適な配置が得意な人という感じ。
また個別最適が得意な人は自分自身が中心の視点、全体最適が得意な人は俯瞰した視点を持っていると言っても良いかもしれません。
他にも様々な能力の違いがありますが、1人で結果を出せる人と、みんなで結果を出せる人は違うというわけです。
そのため1人で結果を出せる人が昇進し管理職になると、その自身を中心に考える癖があるので組織としての全体最適が上手くいかないのでは?と個人的に考えています。
ボス型とリーダー型
ボス型は言ってしまえば上司である自分中心ですべてが決まる組織。ボス型はワンマンと言い換えても良いかもしれません。一方、リーダー型は組織が中心で物事が決まり、リーダーはあくまで組織を先導するだけです。
個人的に個別最適が得意な人が上司になるとボス型になることが多く、全体最適が得意な人が上司になるとリーダー型になることが多いと思います。
現在のビジネス業界ではボス型はあまり良くないと言われており、リーダー型の上司が求められつつあります。
組織論ではティール組織やホラクラシー組織などが取り上げられていますが、これもかなりざっくりと言ってしまえば、ボス型の組織は良くないので変えようという話なわけです。
組織が変わらない理由 大企業病の本質
ここまで読んでいただければ、もはや自明の理ですが、組織が変わりにくい理由はまさにこの点にあるわけです。
1人で結果を出せる優秀な人というのは自分中心であり、自分自身が正しいと考えています。だからボス型になるわけです。そして、そういう人たちが昇進し管理職を占めしまうと、新しい考え方ややり方が提示されても自身が納得できなければ取り入れられないのです。
ボス型は自分自身が中心なので、自分自身の地位や権力が脅かされるような考え方に対して拒否反応があります。それは自身を否定されているように感じるからです。ですので、フラットな組織と言われるティール組織やホラクラシー組織を拒絶します。
一番厄介なのは、ボス型の上司は優秀なのでフラットな組織への理解をちゃんと示すこと。つまり、自分たちは理解した上でフラットな組織は日本では上手くいかないという判断をするわけです。
その理由として、ボス型の人たちは自分自身が中心で自分自身が一番と考えており、部下は優秀ではないと考えているから。つまり、フラットな組織にすると優秀ではない人たちを使わないといけなくなるため、個々の能力が落ち組織として結果を出せないと思っているのです。
つまり、ボス型の人たちは個々の力の積み重ねが組織の力であり、個々人の個別最適の結果が全体最適であると考えているわけです。
しかし、それは全体最適ではありません。完全に意味を履き違えているわけです。これが大企業病の本質だと個人的に考えています。
スポーツが一番わかりやすいのですが、お金をかけたオールスター軍団が必ずしも優勝できるわけではないですよね。これは誰しもが知っていることですし、当たり前のことです。
しかし、こと会社組織になるとそれが一切適用されません。なぜかオールスター軍団じゃないと勝てないと考えるわけです。
解決策はあるのか?
残念ながらこの問題を解決することは難しいでしょう。なぜならば、ボス型の人たちは自分自身が優秀であることを信じて疑わないからです。正確に言えば優秀なことは間違いないのですが、必要とされる能力が異なるという認識を持てないからです。
マイケル・ジョーダン氏が一時期ベースボールに挑戦しましたが結果は普通の選手でした。バスケの世界では神と言われる方でもジャンルが違えば普通になってしまうわけです。まあ、ジャンルが違うスポーツでそれなりに結果を残せてしまうというのは、それはそれでマイケル・ジョーダン氏の驚異的な身体能力の現れではあるのですが。
ボス型の上司たちも同様で、彼らは優秀なので個別最適でもそれなりの結果を出すことができてしまいます。つまり、結果が出ているのだから自分たちは間違っていない、だから変える必要は無いと考えるわけです。
このボス型の人たちの考え方を変えない限り、組織を変えることはできないでしょう。そのため、組織を変えるにはトップの挿げ替えが必要なのです。
結局解決策としては上司の交換という結論になってしまいます。
そもそも組織において重要なのは全体最適であり、継続的な組織の成長です。個人の能力によって一時的に業績が伸びたとしてもそれが継続的な成長につながらなければ、意味がありません。ボス型は長い目で組織を見ることができていないわけです。
そもそもの問題点は組織の仕組みにあるのでは?
こうして考えて見ると、ボス型の人はダメなのでは?と考えがちです。しかしながら、個人的には問題の本質は別のところにあると思っています。
その問題とは組織の仕組みです。
つまり、昇進して給与がアップするという仕組みそのものが間違っているのでは?ということです。
そもそも求められる能力が異なるわけですから、最適な人材配置を考えるならば管理職だからと言って給料が高いというのはおかしな話。
スポーツの世界で考えればわかりやすいでしょう。
プレイヤーと監督どちらの方が貰えるお金が多いでしょうか?
自明の理ですよね。名プレイヤーなら何億という契約金があり、監督よりも貰えるお金が多い人がいます。もちろん名監督であればプレイヤーよりも給料が多いでしょう。つまり、それぞれの役割でパフォーマンスを出せば、それに見合うお金(正当な対価)が貰えるということです。
この考え方を会社組織においても導入してはどうか?ということです。
一社員であってもパフォーマンスを出せば給料が高くなるということです。ぶっちゃけ社長よりも給料が高くても良いのではと思っています。歩合制を極限まで高めるという感じかもしれません。
そして本来の成果主義とは、そのような仕組みではないかなと思っています。
PSYCHO-PASSはディストピアか?
アニメ PSYCHO-PASS サイコパスでは、心理状態や性格傾向からAIがその人に最適な職業を提示してくれるという世界設定があります。
ディストピアとしての世界観ではありますが、果たして本当にディストピアと言えるでしょうか?
その人の能力に応じて最適な職業を示してくれるというのは、ある意味理想的な社会ではないでしょうか。
ただ、そこには前述したようにパフォーマンスに対して正当な対価が貰える仕組みが必須だと思っています。
そして最適職業の提示があった上で、個人の意思で職業が決められるような社会が良いのかなと個人的には思っています。
結論
何が言いたいかというと人はそれぞれ異なり、能力も違うということです。
めちゃくちゃ当たり前のことなのですが、こと会社組織においてはそれが適用されないという話。
そしてそれがブラック企業やブラック組織を生み、大企業病を発症させる原因なのではないかなと。
二世議員についても度々取り上げられていますが、これも根っこは一緒だと思っています。
皆さんはどう考えますか?