大切なのは情報の発信源に依存しないことと、情報自体は責任を取らない話

投稿者: | 2023年9月8日

あくまで個人的な考えをつらつらと書いたものです。

情報に振り回されないコツ

SNSで情報で

「情報に振り回されないコツ」のひとつとして、

【その人は自分の発信に責任をとってくれるか】を確認する

https://twitter.com/yumamoriya/status/1699584507056439470

という話題がありました。

確かに発信者が誰かというのは、一つの指針かなとは思います。

ただ、元ネタがNHKということで、そもそもNHKの信頼度が落ちていて、自分たちの発信した情報に責任を取らないという点で、なんとも皮肉な内容のように感じました。

コロナワクチンは危ないのか?

この話題で最初に思い浮かんだのは、コロナワクチンですね。未だにワクチン反対の人たちが情報発信をいろいろとしていて尽きない話題かなと思います。

ただ、個人的にコロナワクチンは国が主導で進めたもので、何か問題が発生した場合、コロナワクチンを打った人々は最悪国を訴えるなどができるわけです。

また、本当に問題があった場合、国は責任を取ってくれるでしょう。過去の公害問題などの例を見てもそうですね。

では、反ワクチンの人々はどうでしょうか?

ワクチンを打たなかったことによって亡くなった人々に対して、責任を取るでしょうか?

答えは明白ですね。彼らは一切責任を取りません。

コロナワクチンには後遺症が出る可能性は最初から情報公開されていますし、コロナワクチンは重症化を防ぐものであることは散々言われています。

であれば、反ワクチン派の意見を聞いてワクチンを打たず、コロナに罹患し重症化した人は、反ワクチン派の人に対して、責任するべきなのです。

でも、反ワクチン派の人は言うでしょう。それは個人の選択で、自分たちは関係無いと。

コロナワクチンの危険性については、そのような状況を判断した上で、打つ打たないを判断するのが良いかなと個人的には思っています。

個人的にコロナワクチンについては、情報が正しい、正しくないという話では無いという結論です。

情報の確からしさで判断

すこし話を戻して、これは個人的な情報についての受け止め方ですが、基本的に正確な情報というのは存在しないと思っています。

どのような情報媒体であっても、たとえ自分自身がその場にいて直接見たとしても、すべての情報をインプットして、さらにすべての情報をアウトプットするのは不可能だからです。

具体的に言えば、火事の現場を見た時にすべての情報を正確に他者に伝えられるのは難しいということ。

つまり、情報を伝えるという時点で、情報は抽象化され、ノイズが入ったりしてしまうものなのです。

だから、完璧に正確な情報というのは存在しません。

ですので、情報は確からしさでしか判断できないと思っています。

そのため、1つの情報源から情報を判断することはかなり難しいかなと。

ですので、複数の情報源から情報を集め、それぞれの確からしさから総合的に、自分でこれが正しいのではないか?と結論づけるしかできないと思っています。

テレビや新聞、人に依存するなかれ

SNSの発達によって、テレビや新聞が誤報を流したり、ヤラせや意図的に捻じ曲げた情報を発信することが、明らかになってきました。

結構前から情報の確からしさは下がっていましたが、近年はそれが顕著になってきたと思います。

特にサイエンスやエンジニアリングなどの専門分野は、相当前から間違った情報を流していました。

それらの原因は理系の人がテレビや新聞の記者に少ないことが理由ではないかなと、個人的には推測しています。

ただ、専門家の人たちでも間違えることはありますし、最近は理系でも分野の深度が高く、ちょっと分野が違うとまったくわからないことも増えているのが現状です。

ですので、専門家だから正しいということもありません。

当然ですが、文系の専門家が理系分野の話をすると、間違った知識が多いことも露呈してきています。

ぶっちゃけ文系の大学の先生は、理系の学生よりも理系に関する知識は劣ると言えるでしょう。

そのため、この人が発信したから間違いないということもありません。

大切なのは、情報の発信源に依存しないことかなと個人的には思っています。

情報自体は責任を取らない

また、情報自体は責任を取らないというのも大切なポイントかなと。

先程のコロナワクチンの話がわかりやすいかもしれません。

反ワクチン派の人々は様々な情報を発信していますが、彼ら自身は責任を取らないことは話しました。

そして、その情報自体が責任を取らないというのも重要と言えるでしょう。

情報を信じたから正しいというわけでも無く、情報は情報でしかないのです。

これは前述の情報の発信源に依存しない話にも繋がっています。

つまり、素晴らしい人が発信した情報であっても、情報自体は責任を取らないということです。

ちょっとわかりにくいかもしれませんが、端的に言えば、情報に責任は無く、結局責任は自分自身にあるという話です。

大切なのは様々な情報を集めて、それぞれの確からしさを考え、最終的に自分で判断することかなと。

情報自体に何かを求めてしまうのは違うんだろうなというのが個人的な考えです。

情報の多様化とAIの話

最初に戻ると、例え情報の発信に責任を持つ人がいたとしても、間違った情報はあるという話で、それを踏まえた上で、総合的に判断しないといけない時代に突入してしまったということ。

非常に面倒くさいというか、情報の扱い方が大変な時代になってしまいましたが、その反面、様々な情報を様々な人が発信できる時代になり、情報の多様化が進んでいると思います。

それぞれの情報に優劣は無く、結局優劣や判断は人間がする必要があるということでもあります。

AIがそれらをうまく選別してくれる時代だという人も居ますが、AIは最適解を導き出すのが得意なだけで(正確には最適かどうかの判断も必要だけど)、正解かどうかはわからないんですよね。

特に個人個人の価値観が大きく違う時代でもあるので、ある人にとっては重要な情報で正解かもしれないけれど、違う人にとってはどうでも良い情報で間違いである場合もあるという話。

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