アラン 幸福論 (岩波文庫)を読んで今を生きる大切さについて考えたことを、つらつらと書いていきます。
アランの幸福論から、過去と未来に対する考え方が面白かったので引用。
われわれが耐えねばならないのは現在だけである。
過去も未来もわれわれを押しつぶすことはできない。
なぜなら、過去はもう実在しないし、
未来はまだ存在しないのだから。
過去と未来が存在するのは、
ただわれわれがそれらを考える時だけである。
過去も未来も人間の臆見であって、事実ではない。
われわれは自分で自分をさんざん苦しめておいて、
悔恨や不安をこしらえているのだ。
どちらの言葉も、過去や未来というのは人間の頭の中にあるもので、現在だけが存在し、だからこそ今を大切に生きよって話です。
個人的にはかなり鋭い指摘かなと感じました。
未来はこれからの話なので理解しやすいですが、過去についても実在しないと言い切るのは、とても興味深いです。
我々は過去について、書物や映像、写真などから知ることができます。
しかし、それはあくまで間接的な内容、証拠と言ってもいいかもしれませんが、二度と体験することはできないわけで、その意味で頭の中にしか存在しないという考え方は個人的には結構フィットしました。
理論上は過去に行ける可能性は0ではない
ワームホールを使うことで、理論上は過去に戻ることは不可能ではありません。
ただ、あくまで理論上で、ワームホールをどうやって超えるのか?と言われると、人間には難しいでしょうし、ワームホールを通る段階で、情報の欠落が発生する可能性もあり、現実的には難しいかなと。
また、実現できたとしても、それはあくまでワームホールを作れた時点までしか戻ることはできず、結局確定してしまった過去には戻ることができません。
確定というよりも、過ぎてしまったことというほうがしっくり来るかもしれませんね。
人間がワームホールを抜けるのは難しいですが、情報であれば電波という形で遅れる可能性はあるかなと思います。
つまり、少し先の未来から過去に向かって情報を送ることで、未来の危機を回避することができるかもしれないということです。
ただ、未来の危機を回避した段階で、未来が改変されてしまうと、そもそもその情報が送られてくることは無いので、その情報が正しかったのかどうかも判断できません。
また、元々の未来の世界がどうなってしまうのか?という問題もあります。いわゆるタイムパラドックスと言われるものです。
現在の世界が無数に存在する多世界解釈なら、この問題を解決できるようにも思えますが、その場合は未来改変が起きることはなく、別な世界線ができるだけなので、結局、過去の改変によって未来が変わることは無いんですよね。
そう考えると、過去を変えるというのは難しいというか、不可能なのかなとも思います。
まあ、何にせよ、未来を知ることも、過去を変えることも、当面難しいので、その意味では現在を大事にする、今を生きることの大切さは、アランが生きた時代と変わらないのかなとも思いました。